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司馬遼太郎(備忘録)

 投稿者:リベルメール  投稿日:2011年 3月14日(月)02時05分5秒
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  文化と文明について(「以下、無用のことながら」から)

 どうも、物食いがよくない。
 食べものについての冒険心がなく、十五、六歳までに食べた食体系のなかで暮らして
いて、永遠に自分のマユから出ることのないサナギのようなものだとおもったりする。
「そんな人間には、異文化は語れません」
 と、私のなかの別の者が言いつづけているし、そのとおりでもある。
「だからこそ異文化につよい関心があるんじやないか」
 私のなかの他の者は、かばってくれる。
 別の者と他の者の統合体である私は、一種の架空の人物だった。
 たとえば、二〇歳まではいたいたしいほど外国にあこがれていて、日本で、しかもう
まれた街の大阪で―東京にさえ住まずに―六十余年を送ってしまうなどといういま
の姿は夢にもおもっていなかった。私の外国は欧米ではなく、モンゴルのように、草
原と朔風の吹く大地だった。

 その準備もしていた。そのあたりの小さな街の領事館かなにかにつとめて、中年以後
は小説を書こうとおもっていた。なんだかいま思うと、大ボラ吹きだったような気がす

 そのくせ、滑稽なことに、いまなお私は観念の上で、かつての中国文明の周辺の国々
(日本をむろんふくめる)の上をさまよっている。
 私は、四十代まで海外旅行というものをしなかった。
 すすめられても、
 ―行かないことに、理由があるのです。
 と、もっともらしいことをいった。空想のなかで海外をおもうというのはじつにたの
しい。それは三角定規をそっと立ててみるようなきわどさで、むろん現実には立ちはし
ない。しかし立ててみようとするたのしみは無上のものです、となかばうろんくさい。
 以上は、前置きである。以下、文化と文明についてのべたい。

 現実にモンゴル人民共和国という高原の国をたずねたとき、ゴビ砂漠南辺の草原で、
数日、包(ゲル)のくらしをした。
 物食いのわるい私も、私にとって少年の夢であるここにきた以上は、さすがに土地の
食べものを食べねばならぬと自分に言いきかせ、毎日、羊の肉も食べた。また馬乳酒と
よばれる無糖のカルピスといった、しかし生臭みのある飲みものを、トンブリー杯ずつ、
日に四杯も飲んだ。
 馬の乳ぱ、ナマで飲むと下痢をするのである。
 遊牧民の智恵は、それをかるく醗酵させてニパーセントばかりの酒精分をふくませる
と無害になることを知っている。かれらは野菜を摂ることのないくらしのなかで、これ
によってある程度のビタミンをとってきたし、また乾燥地帯ではたえず水分を摂ってい
ないと、体が脱水症状をおこす。それやこれやを思うと、これほど賢い飲みものはない。

 遊牧の歴史はあたらしく、せいぜい紀元前八、七世紀ぐらいからである。
この文明の発明者は、黒海北方の草原(ステップ)(いまはソ連領)にいたスキタイと
いう西洋顔(アーリアン)の民族で、なによりもめざましいのは、馬の背に革鞍を
おいてじかに騎るということをやってみせたことである。
「かっこいいだろう」
 と、当時、農業者を馬上から見おろす遊牧民もいたにちがいない。げんに”新文明”
の徒は年じゅう土をひっかいている農民をバカにしていた。

 おもしろいのは、観察者がいたことだった。
ギリシアの歴史家ヘロドトス(前五世紀)が、はるか黒海のかなだのステップに跳ね
とんでいるスキタイという異風な生活者たちを遠望しては、記録した。
 遊牧というのは、ただの牧畜とはちがい、野生の動物で群居するものたちのなかに、
人間がそっと入りこむというものである。さらにはともに移動してゆく。まことに画期
的なもので、このためじかに馬の背にのるということが必要だった。
 家屋は本来定置されたものだったが、遊牧文明では概念の転換がおこなわれた。羊群
とともにうごかねばならないため、移動式のテントがつくられた。ヘロドトスは、遊牧
生活を成立させる諸要素をこまかく観察した。そのなかに、馬乳酒がすでにあった。
 人間は、新文明にかぶれやすいものである。農業という古い文明のなかにある農民は
かぶれなかったが、山野に散居して文明という暮らしのシステムをもたなかった狩猟採
集の生活者たちは争ってこれに参加した。この文明はたちまち中央アジアを東へ走り、
紀元前五世紀前後には、匈奴としてモンゴル高原にすがたをあらわし、やがて世界最強
の遊牧国家を形成する。おどろくべき伝播のスピードだった。

 東方にも、観察者がいた。司馬遷(紀元前一四五~前八六?)がこの異俗の文明を観
察して『史記』に書きのこしたのである。おもしろいことに、人類が東西の古代にもっ
た二大歴史家の。新文明々についての記述が酷似している。
 匈奴はまさしく東方のスキタイというべきものだった。その遊牧の方法や服装、騎射
の法、道具にいたるまでその。文明材々は一つのものだった。出土品のなかの匈奴の青
銅文化が中国型ではなく、スキタイ型であることは感動的なほどである。

 文明とはなにかを考える場合、ローマや中国文明などより、遊牧という単純な文明の
ほうがわかりやすい。
 文明ぱまず民族(文化)を超えていなければならない。
 遊牧文明の場合、そのやり方と道具をそろえさえすれば、たれでも参加できる(普遍
化する)のである。簡単なとりきめだけで、万人が参加できて、しかも便利であるもの
を文明と考えたい。
 前掲の馬乳酒もまた、その文明に欠かせないという点で、普遍性の高い文明材であっ
た。

 しかし、文明はかならず衰える。
 いったんうらぶれてしまえば、普遍性をうしない、後退して特異なもの(文化のこと)
になってしまう。馬乳酒は世界の普遍性からみれば特異(ユニーク)であり、いまこれを
ニューヨークや束京のホテルで出すわけにはいかない。異民族(エスニック)趣味の
催しでもあれば、べつだが。
 異文化(エスニック)もまた文明材になるときがある。たとえばジーンズは二十世紀
のはじめ、デトロイトの自動車工の労働服だったという点で特異かつ少数者のもので
あったのが、アメリカ内部の普遍化作用のなかで吸いあげられ、世界にひろまったとき、
あたらしい文明材になった。
 「かっこいい!」
 と、ソ連の若者でさえそう思う。ジーンズは普遍性のレベルにのぼったのである。

 モンゴルの高原で、
「うちのおふくろがつくる馬乳酒はうまいですよ」
 という青年がいて、そのゲル(フェルト幕舎)に招じられて飲んだときの味は、なに
やら飲みにくいながらも、こくがあるようにもおもわれた。
 文明は精度を追求するが、文化はこくを追求する。馬乳酒もそうなっていて、家々
(動く家だが)によって味がちがうというまでに、文化になっている。同時に、近江の鮒
ずしを思いだした。大津あたりでは、家々によって味がちがい、どの家でもそのちがい
が誇りになっているのである。(太字は傍点です)
 人間は、冒頭のたとえのように、文化という(他からみれば不合理な)マユにくるま
れて生きている。
 頭上に文明(たとえば交通文明とか、法の文明)があるにせよ、民族や個々の家々では、
普遍性に相反する特異さで生き、特異であることを誇りとしている。そういう誇りのな
かに人間の安らぎがあり、他者からみれば威厳を感じさせる。
 異文化との接触は、人間というこの偉大なものを、他者において感ずる行為といって
いい。                   (「シグネチヤー」 一九八七年十月号)

私にとっての”白地図”(「アメリカ素描」から)

(前略)
 ここで、定義を設けておきたい。文明は「たれもが参加できる普遍的なもの・合理的なも
の・機能的なもの」をさすのに対し、文化はむしろ不合理なものであり、特定の集団(たと
えば民族)においてのみ通用する特殊なもので、他に及ぼしがたい。つまりは普遍的でない。
 たとえば青信号で人や車は進み、赤で停止する。このとりきめは世界に及ぼしうるし、げ
んに及んでもいる。普遍的という意味で交通信号は文明である。逆に文化とは、日本でいう
と、婦人がふすまをあけるとき、両ひざをつき、両手であけるようなものである。立ってあ
けてもいい、という合理主義はここでは、成立しえない。不合理さこそ文化の発光物質なの
である。同時に文化であるがために美しく感じられ、その美しさが来客に秩序についての安
堵感をあたえ、自分自身にも、魚巣にすむ魚のように安堵感をもたらす。ただし、スリラン
カの住宅にもちこむわけにはいかない。だからこそ文化であるといえる。
 日本やスペインや韓国は、そこにnatイブ(原住民)がいて、natユラルに存在した国だ
から、ステイッでなくてnationなのだろうと私は日本語としての言語感覚でおもっていた。
「ステイトについては、そういうことでしょうか」
 と、出発にあたり、学校の先輩の英語学者である林栄一氏におそるおそるきいてみた。
「まあ、そうでしょうな。stateというのは、言葉としては法律用語である場合が多いです
から。法によってできあがった米国だけは、Statesというのにふさわしいでしょう」
 と、ほぽ合意してくれた。
 以上のことからいうと、日本などは精神の安らぎのための不合理な習慣でつまっている。
年末だけでも年賀状を書き、お歳暮を送り、忘年会で飲み、紅白歌合戦を見、年越しソバを
すすり、除夜の鐘をきき、気のはやい人はそのまま初詣でに出かける。そういう文化の累積
とその共有が、自然にクニの形をとっだのが、地上のほとんどの国の場合である。日本の場
合、そのアンコという文化の上に、マンジュウの皮のように文明という法秩序がある。日本
では、アメリカのように。”自分の弁護士”をもたなくても、文化のまにまに生涯をすごすこ
ともできなくはない。
 ただし、日本でいうと、右のような意味での文化に無縁であろうとする場合、変なやっと
してみられてしまう。私の知っている村に若いころ南半球に出稼ぎした老人がいてじつに魅
力的な人柄なのだが、ただ自分の"取り分"という点で厳格で、一方、村の人間関係に冷淡
であるため、村人たちはひそかに”ガイジンサン”というあだなをつけて、特別あつかいに
してきている。日本のように厄介な重文化の国に、たとえば"日本"に参加能力にとぼしい、
ボートーピープルが人つてきても順応が容易でない。ただ、日本のすくわれるところは、重
文化のベトナムが明以来の華僑の子孫を海へはじきだしてしまっだのに対し、日本の場合、
かれらをゆたかに受けいれられないみずからを多少は恥じている点である。この慚愧には、
文化の累積ということについての物憂さもまじつている。文化という不合理なものは、それ
なくして暮らすことができないが、鬱陶しくもある。(後略)
 
 
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