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うめさま
>http://www.nazotoki.com/index.html
大変、おもしろく拝読しました。
このボリュームで、それでいて草の根的な情報収集で公平なジャッジメントを求める、この姿勢。遊び心も忘れてない。
一次情報が二次情報、三次情報と移り変わるうちに、誤認とか恣意とかで情報にバイアスがかかっていく様子が僕にはとても面白いです。
もとの一次情報にたちかえると、急に世界が平明で常識的に見える。
理性で片付くところは理性ですまして、その先のオカルティズム。
・・・・僕も、こうありたいものです。
ただ、オカルト趣味にちょっと肩入れするならば、個人とか集団が、長く強く信じたものって実体化することがあるんじゃないか、と思うんです。
僕の中では、気学と論理性がむすびつく接点は、電子の位置が確率でしか求められない、素粒子は「観測」という行為に影響される、というような理屈からでした。
つまり、意思が自分のまわりを変える可能性があるんじゃないか、それと僕の見ている世界と、他の人が見てる世界は、まったく別のものかもしれない、という仮定。
高い視点から俯瞰したらひとつの世界なのかもしれないけど、個人の低い視点からは、まったく様相を異にした世界がひろがってるように見えてるのかもしれない・・・だから、他の方位のとり方からは、変な話「守られてる」という確信に近いものがあります。
>そこで思うのですが、皆何か悪いことがあると「あの時取った大凶のせいだ」と
この道に入る人が多いと思うのですが(私も)
さんざん、脅かされた口です。^^;
さらに当時は、病床の母を何とかしたいという状況も拍車をかけましたね・・・
長くなりました。
スミマセン。
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