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覚えてていただいて光栄でございます。。。^^
母の実家が明治期まで大宰府の宮司をつとめてきた、道真公の家来の末裔なんで「うめ」には敏感でして。^^;;
相変わらず方位は絶大で、今度1月のサハリンのオハ、3回目ですが、どうしたら生きて帰ってこれるか鋭意準備中です。(明らかにやりすぎ)
方位から逃れるために神道に傾注してきましたが、その中で、祈願が妄執にならないよう「かんながらたまちはえませ」っていう言葉で締めるっていうのがあるんです。
「後は神様にお任せいたします」っていう意味なんですが、僕は、これに癒されますねぇ〜・・・
どうも、人間は「幸せになるために生きている」というのが世間一般の常識みたいですけど、「幸せと不幸せを経験し生を全うして、魂を磨き天に帰る」というのが、神道に限らずスピ系とか、「まとも」に思えるオカルティズムの中心的な考え方みたいです。
伊勢白山道 http://blog.goo.ne.jp/isehakusandou
を良く読みますが、ここは十年一日、そればっかりなのでちょっとウンザリぎみですが、キプロス島にいたダスカロスという神人や出口王仁三郎以降の古神道系、スピ系には良く出てくる人生観です。
で、人間の魂、精神性って残念ながら苦しいとき、不幸なときに幸せなときの数倍、伸びて磨かれるんですよね・・・
してみると「幸せを願って、方位を踏む」っていう行為が、人間本来として正しい行いなのか?そういうことは無視して、時に幸せで時に不幸で、それを受け止めて生きていくことの方が神様の意にかなっているんじゃないか?
そう考えると、自分の行為にも後ろめたさや反省をいだきつつの方位取りでございます。。。
あんまり現世利得追求で方位を厳密に考えすぎると、それだけで妄執というかおかしなものが寄って来ちゃうんじゃないでしょうかね?
方位は特定の神様の作用というふうには、誰も定義づけてないし。
丑寅の金神とか国常立大神とか玄武だ朱雀だ、いろいろあるんでしょうが。
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