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(無題)

 投稿者:一応企画者 山本  投稿日:2005年 4月19日(火)21時06分52秒
  菅原さんにそういっていただけるとすごくありがたいです。

正直にいうと、かなり運に助けられているところもあると自分では思っています。
参加作家を探す段階で断わられた方々もいらっしゃったのですが、そのおかげ(?)で結果的に今のメンバーが集まったのですし、また参加作家がそれぞれに動いてこの企画を盛り上げてくださっている面も多分にあります。
ここで書くのもなんですが菅原さんと藤岡さんを誘うのは、私としては少し恐る恐るでした。(断わられると思っていましたので。)会ってキチンとお話させていただくとお二人ともものすごくフレンドリーな上、この企画に対して前向きだったのですごく嬉しかったんです。

さて美術手帖もそうですし、愛知県美の特別展「自然をめぐる千年の旅」・京都国立博物館の「若冲」・「雪舟」・「蕭白」という立て続けの展覧会といい、今確実に日本美術を見直す機運が高まっていると思います。

最初は村上隆や会田誠・山口晃・天明屋尚(敬称略)といった日本画(村上さんは正確にいうと日本画出身ですが)でない日本画からこのブームは始りましたが、最近だんだんとそれよりマニアックな日本画や日本美術にまで波及して来ているなと感じます。

ジャックがこの時期に開催できたのも運が良いことの一つだと思います。

http://www.h7.dion.ne.jp/~nipponga/

 


太郎くんスゴイ

 投稿者:菅原布寿史  投稿日:2005年 4月19日(火)18時35分24秒
  美術手帳の特集ですか。今度見てみたいです。ところでチラシ用の原稿でも書いたのですが、愛知県美の特別展「自然をめぐる千年の旅」で久々に日本美術を古代から近代まで辿りながら見る機会を得て、実感したのは、日本画というキーワードで選んだ日本画ジャックのメンバーの選定がとても説得力のあるものだということです。実は僕自信このメンバーをどういう基準で選んだのか、も一つピンとこなかったのが、この日本美術の多様な代表的作品群による展覧会を見て、思わず納得です。ウーン、企画者山本太郎恐るべし。

それからこの展覧会、テーマが自然ということで、政治性、観念性が薄く、その分「明治=近代化」という断層が見えにくい。それにひきかえ、山水から風景へと自然景観の捕らえ方が変わった(西洋の透視図法的空間把握などで)、18世紀という転換点がクローズアップされています。勿論これは日本人の精神性の変化とも連動していると思うし、やはり近代日本画を語る上で、このことは見過ごすわけにはいかないと思います。

あと、メンバーの皆さんの学生時代の話、様々なことが見えてきて、とても興味深いです。僕とそれほど年齢差が無いにもかかわらず、環境の違いによる藤岡さんの先生との関係の密度の濃さの違いは大きいと思うし、また、造形、成安という新設大が新感覚の日本画作家をつくり出す要因にもなっていたのではと思わせてくれたりもします。

それから、坂内君の作品が完成前に石正美術館に買い上げになったはなしとか、田中さんが「尖」の会場ではなしてくれた中野先生と大野先生のキャラの違いとか、よかったら書き込んでください。
 

あ、、、

 投稿者:まみず  投稿日:2005年 4月19日(火)07時19分33秒
  濃い方に書いてた。。。失礼。

http://mamizu.net

 
ケータイで撮った動画を掲示板に投稿

それそれ

 投稿者:まみず  投稿日:2005年 4月19日(火)07時15分3秒
  BT買っちゃって、太郎君たちどう思ったかなぁと思って
早起きしたので覗いてみました。
まだ濃いほうのBBS(笑)は見てないけど
やはり早速かいてますね。
なんだか今更な気もしないでもなく。
もっと早くてもとおもいました。
歴史の辺の皮肉ぎみな文章がなんだかやな感じしたけど
今更と書きつつ、私には知らない事だらけそうでおもろいです。

http://mamizu.net

 
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話題をさえぎるようですが

 投稿者:山本太郎  投稿日:2005年 4月18日(月)21時55分45秒
  今月号(2005年5月号)の美術手帖なんと『「日本画」ってなんだろう?』って特集です!
しかも「歴史編・技法編・状況編で知る」ってサブタイトル・・・。
かんなりジャックとかぶってます・・・。

しかし日本画がかなり注目されていることの現れでもあるので、
このまま盛り上ってくれたらジャックにもお客さん多く来るかナーなんて考えてます。

みなさん一読あれ。

http://www.h7.dion.ne.jp/~nipponga/

 

京都画壇華やかかりし頃

 投稿者:雅人  投稿日:2005年 4月14日(木)19時32分32秒
編集済
   私の学生時代の指導者達は、今では考えられないぐらい華やかで生き生きとした布陣だった。まず嵯峨美時代は年に2回松篁先生が、週に1回下保昭先生、上村淳之先生がそして模写室には林司馬先生が来ておられた。松篁先生は一人一人学生の心情、意図を聞いた上で作品を見られ、描き手の目線に合わせて丁寧に指導されていた。専攻科2回のとき私の作品を見られた後「よろしおすな〜。」と声をかけてもらった、それとしきりに「東京には魔物がおりますな〜。」と言われていた。そのときは何のことだか理解できなかったが、今はなんとなくわかる気がする。ともかく単純な私は創画会に出品するようになった。下保先生にはよく飲みに連れて行ってもらった、それも超高級な店ばかり、そのときの西山翠嶂と「青甲社」の話は興味深かった、あるとき私が半年かけて完成したスケッチを見て「形に囚われすぎや、もっと自分の呼吸で描け。」と言うと同時に手にした鉛筆でぐるぐると手直しされた、私は泣きそうになりながら礼を言った記憶がある。さらに主任として林潤一先生がおられ写生と草稿(構成)の大切さを非常にわかりやすく的確に教えていただいた。その他にも堀泰明先生や箱崎睦昌先生がおられ「横の会」の結成に向けて夢を語られていたのを思い出す。また創画会の土手朋英先生は会員になる寸前で元気いっぱいだった。嵯峨美卒業後、精華の3回に編入した私はここでも指導者に恵まれた、創画会の橋田二郎先生、日展の渡辺信喜先生、川村源三先生、そして週1回であったが一番影響を受けた村田茂樹先生がいた、その何者にも左右されない真摯な姿勢に学ぶことが多かった、しょっちゅうアトリエへお邪魔したがスケッチから草稿、下絵、制作途中とすべてをみせてもらい、学生時代を通してこれ以上の勉強はなっかた。いずれにせよこの頃京都画壇は厳然として存在し学生である僕らはこの指導者達に憧憬の眼差しを向けていた。ある意味とっても幸せな時代だったのかもしれない。  
ケータイで撮った動画を掲示板に投稿

日本画と出会ったとせよ

 投稿者:山下和也  投稿日:2005年 4月10日(日)03時31分38秒
  さっきの投稿誤って無題になってました。

話は戻りますが、私は制作に対してあまり大学で先生方に指導を受ける機会がありませんでした。というのも一回生以降研究生までずっと古画の模写ばかりでしたから、制作をみてもらう機会がなかったのです。ただ、合評会に参加したり短い期間の指導のなかからも享受されるものがありました。
林潤一先生は私に花を描くきっかけを与えてくれた先生でしたが、好奇心が旺盛な童心を宿した方で、また、西野陽一先生も海の絵を描くためにスキューバのライセンスをとったりアマゾンに行ったり、お二人に共通する点はリアリティを追求したり、納得するための行動力でバリバリの写生派でありながら、実は夢想的なものが好きで絵に華やかさや遊び心画ある点、そして花や動物をホントに楽しんでいる姿に感銘しました。
猪熊佳子先生は三人のお子さんを育てながら講師もされ、かつご活躍というバイタリティあるリアルな姿に…。
また、模写室では箱崎睦昌先生、仲政明先生、山内章先生に材料学や古画知識を学びました。箱崎先生は自身の作品宜しく厳格な方で真物志向な方で模写においてもただ技術を真似るのではなく真生性や精神性と向きあう事を常に言われ、ひとつの作品の模写に時間をかけて入我我入する必然性を教えられました。卒業後もご縁でお世話になってます。

ただ模写室の場合、先生よりも手本や文献と向きあう時間が長く、筆を持って日々古画と向きあうので手本が先生と言っても過言ではないです。嵯峨芸の模写室でははじめ、故・林司馬先生の肉筆を手本に半年程線描を学ぶ事になります。司馬先生は土田麦せんの弟子で後に入江波光に師事し模写の第一人者となった人で、安田ゆき彦がその模写を求めたという話等があります。そうした意味では故・司馬先生も恩師な訳です。、
 
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(無題)

 投稿者:山下和也  投稿日:2005年 4月 9日(土)21時31分55秒
  このリレー形式面白いですね(笑)では私の番で。
記憶を辿ると私ははじめに日本画という言葉に出会ったと言えます。美術高校の選択科目のなかではじめてこの言葉を耳にした。もちろんどんな絵や画材や歴史か等まったく無知。ただその言葉と画材に興味を覚えました。膠を焚いたりすり鉢で絵具擂ったりキラキラした鉱石を焼いたりする工程が高校生だった私には錬金術か魔法の薬をつくっているような神秘さを感じたのと、日本画って言葉は意味がようわからへんなと思っていました。それで現存の日本画家と出会ったのはやはり大学に入ってからで、それぞれの先生方に感心する事は多くありました。

つづく
 
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いいだしっぺ

 投稿者:菅原布寿史  投稿日:2005年 4月 6日(水)18時23分5秒
  自分が言い出しておきながら、書かないのもなんなので、自分の日本画との関わりを書きます。

大学に入学した時は日本画をやろうと言う気は全くありませんでした。浪人のころに松池歩さんが史上最年少で山種美術館大賞をとられたのがマスコミで大きく取り上げられ、日本画家に憧れる若者が増えた時代でしたが、僕は興味なかったです。1年後期から専攻を選択すると言うカリキュラムだったので、たまたま、前期の終わり頃に確か市美でやっていた土田麦僊展を観て、それまで美術、映画、音楽にせよ欧米のものばかりに親しみ、日本人として日本の文化を知らないという不安が頭をもたげてきたのが大きかったです。特に初期の海女の屏風にはやられました。

三瀬君の、合評で怒られたかったというのはおもしろいですね。でも93年以降ということを考えると、先生ももう「そんなんやってたらいかん!こういうふうにやっていかんと絵描きとして大成しない。」なんて言えんでしょう。先人の通った道を歩めばなんとかなる時代は終わってるから、先生もつらいところです。因に僕らの頃は怒られる人もいたよ。

僕は学生時代、作家意識なんてりっぱなもの全然ありませんでした。基本的に”学ぶ”ということしか頭になかった。4年生になったら150号の大作も曲がりなりに描けるようになった(単に物理的にね)という程度です。公募展もその当時出品するのが普通だったから出したというまでです。先生方の作品はどれもそれなりに好きでしたよ。

山岸先生とはモチーフが同じだったので、言ってられることが漠然としていても、理解、共鳴ができたので、院の担当してもらいました。

今の作風に変わったのは卒業してしばらくたってからです。やっとこういう作品が作りたいと言う意識が出来てきた。しかし、団体展の出品をやめると個展やっても京芸の先生は見に来てくれません。そのかわり横の会の方々が若手の個展でも、マメに見にこられるのには驚きました。実際、京芸以外の美大出身者は無所属で活動していても、大学時代の先生と交流があるのは少し羨ましかったです。
 

次の方

 投稿者:水野 剛志  投稿日:2005年 4月 6日(水)00時09分44秒
編集済
   そうですね。。僕は、北海道・札幌市で生まれ、その僕が日本画との出会いは、高校のときです。皆さんは、たぶん知らないと思いますが中野邦昭先生という京都芸大の卒業生で、先生は、日本画では無かったのですが(彫刻を学んでいたらしいです)、造形大の畠中光享先生と出会い日本画をはじめたらしいです。そして畠中先生に習ってたとか言ってたかな。そんな中野邦昭先生に教えてもらった僕は、少しは、そのとき(高校、もしくは、浪人時代、札幌に住んでいるとき)関西の風味を持っていたのかもしれません。

 そして、大学に入りいろんな先生に絵を見てもらいましたが、最後の一年間大学の方針が変わりグループごとに分けられ、そこで小西達子先生、西野陽一先生、八木幾朗先生に見てもらったのです。三人の先生は、それぞれ違った目線もって絵を見られるんで、いい勉強になりました。
 考えれば長い道のり。まだまだ、なんかあると思うけど、これからもよろしくお願いします。僕は、このような感じです。

 P.S. 岡本さんへ 会えなくて残念です。もうLAにいるのですね。遅くなりましたが、これからもよろしくお願いします。

http://www.h3.dion.ne.jp/~takenoko/

 
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