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船井さんに返事を書かないままだと、次の人が書込みにくそうなので、書きます。
確かに少し前に船井さんが書いていたような特徴は日本人にあると思います。そこは私も同感です。
ただそれは「農耕民族だから」という理由だけでは片づけられないと思います。
前に少し書きましたが、日本が単純な農耕社会ではなかったことは、一頃流行った「網野史観」を見ても明らかです。
また日本人の気質も時代によりかなり変化しています。私が詳しくここで書けることではないので、渡辺京二著『日本近世の起源――戦国乱世から徳川の平和(パックス・トクガワーナ)へ』と同じく渡辺氏の『逝きし世の面影』という二つの名著を読み比べて下さい。単純な日本人観が吹っ飛びます。
さて、「能の日本性」などという大それたことについて私がここで語るのも、これまたかなりおこがましいことだと思いますので、ここでは書けません。
そこで能のお稽古をしていたときの面白いエピソードを一つ。
私が舞台をぐるっと回る動きをやった後、自分の立ち位置がわからなくなり、本来立っているべき位置に立っていなかったときに師匠が一言(真顔で)「なんで今立っている板の目の位置が足の裏でわからないの?」と言われたのです。それも怒るわけではなく、本当に不思議そうに。
つまり(足袋を履いているとはいえ)足の裏にそれだけ神経が集中している状態が師匠にとっては当たり前のことだったわけです。この素足の敏感さはいつも靴を履いている文化の人にはないでしょうし、今の日本人にもあまりない感覚です。
「日本文化」と一口に言っても、こういった実感をともなった感覚というのは、実践のなかで長年磨いていかなければ身に付かない類いのものです。例えば着物をすんなり着こなすということもそうです。こういったことは頭ではなく体で考える「日本文化」なのではないでしょうか?
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