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確認しておきます

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 5月25日(月)02時08分57秒
返信・引用  編集済
  昨年の8月27日に「平成20年度ハンセン病問題対策協議会」が開催されました。そしてそこでいくつかの事項が確認されました。この「確認事項」が何故4ヶ月後の12月26日まで文書化されないのか、この旧弊はいつまでも謎が解けませんが。

この中で、6月22日を「らい予防法による被害者の名誉回復および追悼の日」と定めることになりました。追悼式典も行われます。これが昨年までの「ハンセン病を正しく理解する週間」に変わる日となります。なお「6月22日」というのは、2001年に「ハンセン病療養所入所者に対する補償金の支給等に関する法律(補償法)」が公布、施行された日です。

この名称は長いのですが、でも「上から目線」の「正しく理解せよ」よりは、はるかに正確で心に染みる表現だと思います。厚労省は今年は忘れないで広報するでしょう。3年前は全く忘却していて私の矢の催促でようやく重い腰を上げた(?)という信じられないことが有ったのを、思い出して腹を立てています・・・^^
 

Re: 「手紙」と「東京タワー」と「忘己利他 」

 投稿者:あずき  投稿日:2009年 5月23日(土)15時40分16秒
返信・引用
  > No.4374[元記事へ]

> 「恩着せがましい」
>
> 一言で言えばその感じ無しに、私は居られないからです。素直な心根がないのでしょうか、心を真っ直ぐに通わせることに不器用なのでしょうか。親子の間に通じ合う愛情にこのように「取引」めいたものを持ち込むことに、どうしても抵抗を感じるのです。

このリベルさんのお気持が心に残ってしまいましたので、わたくしなりに書いてみました。長い文章になりますので、ここ↓に書いておきました。(暴言多謝、付きで。)

http://www.haizara.net/~shimirin/blog/akiko/blosxom.cgi/nikki/20090523152525.htm
 
    (リベル) 拝読して決して「暴言」ではないと思いました。

「お母さんが今、あなたの祖父母にしてあげていることと、同じことをお母さんにして欲しいとあなたには望んでいません。のたれ死にで結構です。」と。娘は沈黙していました。

そうなのですね。

あずきさんのお話しに元気を得て図に乗って書きますと、この「手紙」がオリコン1位だとか「千の風になって」がハヤリになるとか、安っぽいセンティメンタリズムが日本を覆うとその結果、若い人達の「心」を歪めてしまうのではないかと、それが心配になってきます・・・(>_<)(5.23 18:26)
 

「手紙」と「東京タワー」と「忘己利他 」

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 5月23日(土)00時43分20秒
返信・引用  編集済
  「東京タワー」という映画を観てまた泣きました、涙腺が緩くていけません。

あのような徹底的に相手を思う「愛」に私は無縁なのではないかと、フト思いました。あのように一途に親から愛されたことがない、あのようにひたすらに子供を愛したことがない、或いはそう思い込んでいるだけなのだろうか。そんなことを思い悩んでいるときこの歌のことを知って読んでみました。歌を聴いてみました。

お叱りを受けるかも知れません、バカにされるかも知れませんが、思い切って書きます。私はこの歌をそう好きではありません。こういう心情は理解できます。そして暖かさを感じます。だけど私はもっと老いても子供達にこういうことを言いません。こういう感じを抱きません。

「恩着せがましい」

一言で言えばその感じ無しに、私は居られないからです。素直な心根がないのでしょうか、心を真っ直ぐに通わせることに不器用なのでしょうか。親子の間に通じ合う愛情にこのように「取引」めいたものを持ち込むことに、どうしても抵抗を感じるのです。

オカンとボクの間に通じ合うものは「愛情」という言葉が綺麗事めいた安手の言葉に聞こえてしまうほどの無垢のひたすらな「こころ」、いやむしろベクトルを感じさせる「たましい」でしょう。「忘己利他」なんて何も私のように大仰に騒ぐほどのものではない、オカンが軽々と実践していることなのですね。だけどなかなか出来ないことなんだ、だから泣いてしまうんだ、そう思いました。故久世光彦氏が「泣いてしまった…。これは、ひらかなで書かれた聖書である」と評されたと知って成る程と思いました。


最近読み終わった福岡伸一著「動的平衡」の正に「コア」のくだりをご紹介します。エントロピー増大の法則は人の生命にもキッチリ抜け目なく襲いかかって来る。だから・・・

「生命は自分の個体を生存させることに関してはエゴイスティックに見えるけれど、すべての生物が必ず死ぬというのは、実に利他的なシステムなのである。これによって致命的な秩序の崩壊が起こる前に、秩序は別の個体に移行し、リセットされる。」

勿論ここで言う「利他」は仏教での用法とは全く別です。別なのですが、この数日やたらに「エゴ」と「利他」について、考えさせられたことではありました。


「動的平衡」のページ
 

手紙 〜親愛なる子供たちへ〜

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 5月22日(金)23時48分46秒
返信・引用  編集済
  この歌詞についてウィキペディアにはこう書いてあります。

「元の歌詞はポルトガル語で書かれており、作者不詳(読み人知らず)。樋口了一の友人、角智織の元に偶然届いたチェーンメールに詩が記載されていて、この詩に感銘を受けた角が詩を翻訳、樋口に見せたところ樋口も感銘を受けたため、曲の制作・発売に至った。」

一度お聴きになってみて下さい・・・。


手紙 〜親愛なる子供たちへ〜  歌:樋口了一  詞:樋口了一・角智織  曲:樋口了一

年老いた私がある日
今までの私と違っていたとしても
どうかそのままの私のことを
理解して欲しい

私が服の上に食べ物をこぼしても
靴ひもを結び忘れても
あなたにいろんな事を教えたように
見守って欲しい

あなたと話す時同じ話を
何度も 何度も 繰り返しても
その結末をどうかさえぎらずに
うなずいて欲しい

あなたにせがまれて 繰り返し読んだ
絵本のあたたかな結末は
いつも同じでも私の心を
平和にしてくれた

悲しい事ではないんだ
消え去ってゆくように 見える私の心へと
励ましのまなざしを向けて欲しい

楽しいひと時に私が思わず
下着を濡らしてしまったり
お風呂に入るのをいやがる時には
思い出して欲しい
あなたを追い回し 何度も着替えさせたり
様々な理由をつけて
いやがるあなたとお風呂に入った
懐かしい日のことを

悲しいことではないんだ
旅立ちの前の準備をしている私に
祝福の祈りを捧げて欲しい

いずれ歯も弱り 飲み込む事さえ
出来なくなるかも知れない
足も衰えて 立ち上がる事すら
出来なくなったなら
あなたがか弱い足で立ち上がろうと
私に助けを求めたように
よろめく私に どうかあなたの
手を握らせて欲しい

私の姿を見て悲しんだり
自分が無力だと思わないで欲しい
あなたを抱きしめる力がないのを
知るのはつらい事だけど
私を理解して支えて
くれる心だけを持っていて欲しい

きっとそれだけで それだけで
私には勇気がわいてくるのです

あなたの人生の始まりに
私がしっかりと付き添ったように
私の人生の終わりに少しだけ
付き添って欲しい

あなたが生まれてくれたことで
私が受けた多くの喜びと
あなたに対する変わらぬ愛を持って
笑顔で答えたい

私の子供たちへ

愛する子供たちへ


 

失礼します。

 投稿者:おせっかい  投稿日:2009年 5月22日(金)00時30分56秒
返信・引用
  【言い間違い】
間違えて言うこと。言い違い。言いそこない。

【言い損(そこ)なう】
(1)まちがって言う。言い誤る。
(2)言うべきことを言わないでしまう。
 
    (リベル) 名詞も有りました・・・大辞林から・・・。(5.22 01:02)

【言い損(そこ)ない】
言いそこなうこと。言いまちがい。
 

(無題)

 投稿者:エリカ  投稿日:2009年 5月21日(木)18時52分6秒
返信・引用
  >「キオブタ」ではなく、「キヨブタ」でした。
いいそこ間違いでしたね。失礼しました。
 

(無題)

 投稿者:エリカ  投稿日:2009年 5月21日(木)09時09分55秒
返信・引用  編集済
  >近松門左衛門の「曽根崎心中」でお初・徳兵衛が心中したのがお初天神(露天神社)なのです。
>この近所は飲み屋街で、実に美味い焼き鳥屋があってよく行ったものです。

焼き鳥おいしいですね。大阪は食べ物がおいしい。食い倒れという言葉があるくらいですから。

>懐かしいなあ、もう面倒で行こうとは思わないのが寂しいですね。久し振りに行ってみるかな・

是非行かれたらいいと思います。ついでにお初天神にも参ってこられたら。

>何かの新聞を読んでいたら キヨブタ とあり、はて、奇怪なと思っていたら清水の舞台から飛び降りるの 略語で、あまり略しすぎると思います。

キオブタですか。わたしも知りませんでした。
 
    (リベル) 「キオブタ」ではなく、「キヨブタ」でした。「キオブタ」なんて言うと「キオスク」がブーブー言いそうですよ・・・(^^;)(5.21 11:42)  

Re: 清水寺

 投稿者:Ichiro  投稿日:2009年 5月21日(木)04時54分8秒
返信・引用
  > No.4368[元記事へ]

エリカさんへのお返事。

何かの新聞を読んでいたら キヨブタ とあり、はて、奇怪なと思っていたら清水の舞台から飛び降りるの 略語で、あまり略しすぎると思います。

 Ichiro
 

清水寺

 投稿者:エリカ  投稿日:2009年 5月20日(水)19時52分37秒
返信・引用
  清水寺が載ってますが、わたしは神社仏閣見るのが好きで時々行きます。
この間大阪中の島のほうへ行った時、そのへんをぶらぶらと、曽根崎の方を歩いているとお初天神(神社)がありました。大阪に住んでいながら知りませんでした。大阪のビル街の中に神社があるとなんかホッとするような気がします。やはり日本人だからでしょうか。
 
    (リベル) 近松門左衛門の「曽根崎心中」でお初・徳兵衛が心中したのがお初天神(露天神社)なのです。この近所は飲み屋街で、実に美味い焼き鳥屋があってよく行ったものです。懐かしいなあ、もう面倒で行こうとは思わないのが寂しいですね。久し振りに行ってみるかな・・・^^

>ビル街の中に神社があるとなんかホッとするような気がします。

本当にそうですね、まことに同感です・・・。
 

越えてはならぬ一線を・・・

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 5月20日(水)03時21分8秒
返信・引用  編集済
  「白癩の話」の二本目の横糸を通そうとしてフトこの一覧表が未完成だったのに気付きました。P.V.Sharma訳の単語を入れていなかったのです。で作業しようとしたとき又々妙なことに気付きました。左端の「梵語」ってどこから拾ったのか、「スシュルタ・サンヒター」に梵語の原典は無いはずなのに。そうですこれは大地原訳の「スシュルタ本集」から拾っていたのです。

これは信用ならねえぞ。はてしかし・・・P.V.Sharma訳のには「デーヴァナーガリー語」が有る。しかし私には読めない。しかし「kușțha」が「कुष」というのは分っているからと・・・これが「禁断の木の実」だったのです。チョットだけとこんなサイトへ行って「母音」、「子音」、「二重子音」の表を印刷してしまったのです。一線を越えてしまうと後はもう一直線です。昨日の午後一杯格闘して遂に梵語を一部習得してしまいました。

後は文法です。これはしかし、やらないと思います、思いますが・・・清水の舞台から身を乗り出している自分が危なっかしくてもう・・・^^

余談:P.V.Sharma訳のページをご覧に入れましたが、この「Criterion of the・・・(CS.NI.5.4)」の部分がこの本独特の訳注なのです。Caraka(チャラカ)さんはこう言っているとご丁寧に出典まで()内に。CSは「チャラカ・サンヒター」、NIは「Nidānasthāna=病理篇」の略だと思います。この「訳注」は数日後にご紹介する「kilāsa」の話で重要な役割を果たす予定なので、チョイト前振りを致しました。蛇足:「チャラカ・サンヒター」にまで手を拡げる気は毛頭ありません・・・^^)


清水寺
 

Re: 絶滅に瀕しているのは象だけでしょうか?

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 5月18日(月)18時24分47秒
返信・引用  編集済
  > No.4364[元記事へ]

> 「ヒトはただそれが聴こえないだけなのだ

ダムの底に水没する村の老人、ハンセン病・原爆症・水俣病などの被害者、中国残留孤児、無実なのに有罪判決を受けた人達、戦火による難民や餓死と向き合っている子供達、もっと他にも数多く有るだろう苦難に虐げられる人達の声を聞く度に胸が苦しくなります。

私達はしかし、それらの声を聞いて涙し怒りに燃えるのはその時だけなのかも知れません。全ての哀しみと怒りを自分の胸に抱え込んでいては、心が破裂してしまうのではないでしょうか。「忘却」という能力が、私達を生きながらえさせてくれているのかも知れません。

私達は多くのことを聴き、そして怒り、それを言葉にします。だけど自分自身の生活が或いは生命がそれによって脅かされることはないのです。それが人間なのでしょうか。

せめて何が有ったか、国家権力によって、国によって何が為されたかを、常に、時々でも、思い浮かべる努力をすることは、人としての義務なのかも知れないと、私は思います。なかなか出来ないこととしても・・・゛(`ヘ´#) 怒…
 

忘己利他

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 5月18日(月)02時35分43秒
返信・引用  編集済
  数日前の出来事です。下の写真のバス停で私がこの写真の撮影位置に座っていました。白いズボンの人の位置に60代半ばの男性が居てその向こう隣のご婦人と何か言い争っているのが耳に入りました。

このバス停では二系統のバスが発着します。その為に座席が二カ所に分かれているのです、「i」の字を横にした感じで、私が座っているベンチは「i」の字の点の部分で「営業所行」の乗客用、向こうには「i」の字の棒の部分でベンチが四脚あり「中山台循環」用になっています。「営業所行」は乗客が殆ど無いので「点」で十分だし、「中山台循環」に乗る私がこちらに座っているのも実はこの事件の原因に関連する理由があるからなのです。というのは・・・

棒の部分は乗客が多いのでベンチ四脚では足らず、熱い日や雨の日は座れない人が「日覆い」の無い所に日傘や傘を差して列をなしているという、不便なバス停なのです。なので一番乗りの私はいつも「点」のベンチに腰掛けるようにしているのです、どうぞこちらへお詰め下さいという感じで。

向こうのお二人が揉めていたのも耳を澄ませばそれが発端のようでご婦人は「お詰めになれば」と仰有ったのでしょう、しかし一応バス会社はこちらは「営業所行」、こちらは「中山台循環」と案内板を取り付けています。常連客でない男性は「書いて有るじゃないですか」、ご婦人は「でも混んでくるとあちらに立つ方が出て来て気の毒だから」なのですが男性が段々興奮してきて「書いてあるのが見えんのか、あんたは」で自分の言葉に興奮してしまってお終いには「あんたは馬鹿たれだっ!」とまで言い放ってしまったのです。ご婦人は怒り狂って席を立って最後尾の方へ・・・。

私は腹が立って男性を睨み付けました。男性も気付いて「書いて有るじゃないですか」と言う。私は実は取っ組み合いになっても死ぬまで戦うという覚悟は決めていました。が静に「よろしいやないですか。穏やかあにしなはれや」と語尾を下げて言いました。黙っておられるので私は又「白癩」のメモに戻りました。

しばらくして男性が立ち上がってこちらへ来ます。あれっ戦わなければならないのかなと思ったら「あっちに立つ人が出て来たから・・・」と呟いて隣にお座りになりました。私には何か言われるは、冷ややかな視線に責められるはで居たたまれなかったのでしょう。

私は実は「いい気味だ」という気持ちを抱きながら、一方でうんと気の毒になって来ました。その時に標題の「忘己利他」の四文字を思い出していたら懸命に考えて何か慰めに役立つ言葉をかけて差し上げられたかもしれません。しかし、ドジで不器用な私はそれが出来ませんでした。やはり「憧れの境地」で終わってしまうのでしょうね・・・^^


このバス停で・・・
 

絶滅に瀕しているのは象だけでしょうか?

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 5月17日(日)17時51分53秒
返信・引用  編集済
  まえにご紹介した福岡伸一著「動的平衡」の最終章にこんな話が出ていました。私はトイレで読んでいて不覚にも涙してしまいました。マンマと福岡さんの演出に乗せられてしまったのですが・・・。

南アフリカの最南端クニスナ地域(GoogleマップでKnysnaと入力。アフリカ大陸最南端です)には100年前には約500頭の象がいたそうです。それが乱獲と乱開発のせいで徐々に減って20世紀の末には三頭、そして最後の一頭になってしまったそうです。そしてその様子を凝視していたアメリカのライアル・ワトソンの元に便りが届きます。それからの話はこれをお読み下さい。(「メイトリアーク」というのは「太母」の現地語で、最後の一頭をそう称していたそうです)

ヒトはただそれが聴こえないだけなのだ



伊藤若冲描く「象鯨図屏風」(2008年に北陸の旧家で発見されました)
 

「白癩の話」

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 5月17日(日)04時52分37秒
返信・引用  編集済
  「白癩の話」の横糸を探し歩きました。現在31本見付かりました。「呼称の変遷」の右端に集めました。この表は分かり易さを旨として、あまりゴチャゴチャした表にしないつもりでしたが、先日「趣味」宣言をしてから一挙に気が楽になって、たちまち「網羅的」に方針変更してしまいました。

未だ「横糸」は沢山あるはずです、お気付きのことが有りましたら、ヒントだけでも結構です、ご一報頂ければ幸いです・・・よろしくお願いいたします・・・_(._.)_
 

大仏殿に青銅製の蝶が有る・・・?

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 5月17日(日)04時32分46秒
返信・引用  編集済
  「んな馬鹿な・・・!」新聞かテレビで知って、検索しました。ところが有るのですね。こんなサイトもありました。でも驚きました。奈良時代の蝶は脚が八本あるのですね、変だなあ蜘蛛じゃあるまいし・・・^^


奈良時代の蝶は・・・で、触角がない・・・
 

白癩の話の追記

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 5月16日(土)17時36分5秒
返信・引用  編集済
  下に追記をしました。「白癩」を理解する上で欠くことが出来ない部分なので。

大仰に申しますと、全体の構築と細部の部品検証を同時進行していますのでまあ手間取っております、気長にお待ち下さいませ・・・_(._.)_

別に待っちゃいないよ、ハイ十分心しておりまする・・・(^^;)
 

Re: ペットを愛する

 投稿者:あずき  投稿日:2009年 5月16日(土)02時12分17秒
返信・引用
  > No.4358[元記事へ]

少女期に祖父がスピッツをプレゼントしてくれました。血統書付きの高価な犬でした。名前は祖父が「ボニー」と付けてくれました。「風とともに去りぬ」のスカーレット・オハラの娘の名前でした。でもあの「ボニー」は落馬して幼いままに死んでしまうのですね。祖父は何故その名前を付けたのか?今でもわかりません。

犬の寿命は人間よりも短いのです。犬は自分より先に死ぬのだと理解して以来、犬は2度と飼いませんでした。ペットが死んだら、また新しく買うという心の切り替えを簡単にできる人もいるようですが、わたくしはできませんでした。

1人暮らしの方がペットを飼うのは、想像ですが「帰宅の理由あるいは責任」を自分に課すためではないか?と思うのです。でも1匹ぽっちにされるペットの寂しさだってあるのに、と矛盾を感じています。

かわいいのですが・・・
 
    (リベル) おや、あずきさん、こんばんは。遅くまで起きていらっしゃいますね・・・!

私の少年期も実は同じくスピッツでした。名前は「パピー」と「ポニー」(こちらは「ホ」に半濁点でした)でした。

「1匹ぽっち」ですか。声を出して大笑いしてしまいました、こんな真夜中に・・・(^^;)(5.16 02:40)
 

赤癩見参!

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 5月16日(土)00時52分8秒
返信・引用  編集済
  先日図書館で「大言海」の「白癩」のページをコピーしてきました。その中の用例にコリャード著「懺悔録」(1632年)というのが有ったので取り込みました。ここで珍しいものを目にしました(脚注にも「未見」と書いてあります)。「赤癩」です。去年の11月1日にチラリとご披露したのが最初です。

大正新脩大蔵経で「赤癩」で検索しますと下の3件がヒットしました。「法苑珠林(ほうおんじゅりん)」は紹介済みですが、もっと反応するのではと期待していたのですが。

●七佛八菩薩所説大陀羅尼神呪經(しちぶつはちぼさつしょせつだいだらにじんしゅきょう) (No. 1332) 0542a21 - 0542b04: 羅尼若人癩病若白癩若赤癩若黄癩病若狂狗嚙若身
●陀羅尼雜集 (だらにぞうしゅう)(No. 1336) 0614b14 - 0614b16: 羅尼若人癩病若白癩若赤癩病若狂嚙齒若身瘡病若
●法苑珠林 (No. 2122) 0743a04 - 0743a06: 若人癩病若白癩若赤癩至誠懺悔行道常誦即瘥若狂

ここで「白癩」以外に「赤癩」さらに「黄癩」まで出て来るのですが、このようにいくつもの種類の「癩」が表現されていることに関しては、別のアプローチで「白癩の話」の中で説明しますから、ここでは省略します。今日ここでは「赤癩」に限って説明を広げます。

私は「赤癩」は「aruṇa」だと「ハンセン病とサンスクリット語」で主張しています。今ご覧頂いた一覧表の中の「aruṇa」を一つ一つクリックして頂くと、私が「赤癩」を「aruṇa」だと主張する理由が良くお分り頂けるかと存じます。もう一つ面倒ついでにこちらをお読み頂くと・・・いやもう止めておきます・・・^^

と言いながら、最後っ屁です。これをもう一度良くお読み下さい。「アタルヴァ・ヴェーダ讃歌」で「白癩」が出て来る箇所です。(1)(2)。これが先日お約束した「横糸」のトップバッターになる予定です。目下ウェイティングサークルでウォーミングアップ中です・・・。この赤い傍線の部分が何を意味するのか、辻直四郎というお人は凄い研究者だと、ホトホト感心させられます。「śvetakușțha」はモニエルの梵英辞典のこのページ右の真ん中辺りに有ります。「wh゜=white leprosy」とあります。ええいっ!言ってしまいましょう、この脚注(1)は「aruṇa=赤癩」を暗示している、と私は言いたいのでした・・・m(_ _)m


追記:「モニエルの梵英辞典」の「aruṇa」の項はこのページ(中央辺り)ですが、その8行目をご覧下さい。「a kind of leprosy (with red  [cf. AV. v , 22 , 3 and vi , 20 , 3] spots and insensibility of the skin)」と書いてあります。これは「アタルヴァ・ヴェーダ・五・二二・三続くページ―このページの注(1)にはキッチリA vi , 20に触れてあります、英文はこれです)」です(vi , 20 , 3 は邦訳が見当たりません)。辻直四郎氏を凄いと言った理由の一つなのですが、お分り頂けたでしょうか・・・。(5.16 15:05)
 

ペットを愛する

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 5月15日(金)18時38分5秒
返信・引用  編集済
  私は「ゴン」という名の雑種犬を飼っていました。それからこれを「ペット」と言うのかどうか熱帯魚をかなり大々的に飼っていました、大は70センチのアロワナから小は0.3ミリのネオンテトラの稚魚まで。

しかしゴンが寿命で死に、アロワナを極く僅かな不注意で死なせてから、私はペットを正確に言えば飼えなくなってしまいました。また再び彼等の死に接するのが怖いからでしょうか。

犬の場合を考えてみると、ペットに対する人間の感情には二種類有ると、私は思っています。一つは子犬の時の可愛さに対する「おお、可愛い」という「情動」的な思いであり、もう一つは成犬になってからの変わらぬ「忠誠心」に対する「敬意」に似た思いです。アッケラカンと「忠誠心」と表現すると抵抗を感じるお方もあると思います、「愛」なのだと。

しかし、あえて言います、「愛」ってそんなものでしょうか。ここだけの話ですが、大切な話だと思うので書きます。配偶者を持たずペットを「愛」してそれで・・・それで良い・・・としておられる人もいらっしゃる。それは違うと思うのです。たとえば星を見て花を見て美しいと共感し、「死」に接して悲しいと共感する、指を触れあいながら自分の若かりし頃の出来事を語り合う、そういうパートナーだからこそ相手を「愛」することが出来るのではないでしょうか。

人間は「錯覚する動物」だと誰かが言いました。「錯覚できるほど脳の発達した動物」と言うべきなのでしょう。

でも、ペットとのキスと愛する人とのキスをあなたは同様に感じられ(尊敬ではなく可能)ますか?

いえ、こんなことを書いたのはペットというのは人間のエゴの産物ではないかとフト実感したからなのです。そうです彼等は犠牲者なのではないか、原始時代の食べるための「家畜」を原初とするのではないかと・・・。


かわいいのですが・・・
 

Re: 諸橋大漢和の「白癩」 (備忘録)

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 5月14日(木)12時45分21秒
返信・引用  編集済
  > No.4336[元記事へ]

> 「諸橋大漢和」(左下です)では「白癩」を「はくらい」と読んでいます。「「びゃくらい」と「しらはたけ」」に転載しておきましたが、用例に「證治準縄」という書物を持ってきています。これは中国の明の時代の王肯堂(1549〜1613)という人が書いた医学書ですがこう書いてあります。
>
> 「夫白癩病者、其語聲嘶嗄、目視不明、四肢煩疼、身體大熱、心中懊、手緩縦、背膂拘急、内如針刺、或生疹而起、往往正白在皮肉裏、鼻有息肉、目生白珠當於瞳子、視無所見、名白癩也。」
>
> 何かどこかで読んだような、と思ったら案の定でした。「諸病源候論(610年)」の「白癩」のところをご覧下さい。
>
> 「凡癩病、語聲嘶破、目視不明、四肢頑痺、支節火燃、心裏懊熱、手脚倶緩、背膂至急、肉如遭劈、身躰手足隠軫起、往往正白在肉裏、鼻有息肉、目生白珠當瞳子、視無所見、此名白癩。」
>
> 如何ですか、今ならさしずめ「剽窃」、「盗作」騒動ものでしょう。なんと1000年後の剽窃、お見事と言わんか・・・^^

上の話はこれで終わりなのです。今日はこれに関連して「諸橋大漢和」に難癖を付けようというまたもや不埒な話です。先ず「びゃくらいとしらはた」の「大漢和辞典」の項をご覧下さい。

先ず第一に「鳥白癩」は変だと異を唱えました、「烏」ではないかと。しかし根拠がない、で「古典総合データベース」を虱潰しに調べたわけです。そこで分ったのは一口に「證治準縄(しょうちじゅんじょう)」と言うけれども実は六種類の書をひっくるめてそうも言うのであって、「證治準縄」「傷寒證治準縄」「幼科證治準縄」「女科證治準縄」「瘍科證治準縄」「雑病證治類方」を含んで構成されているということでした(参考)。そして「大漢和」に引用されているのはその中の「瘍科證治準縄」の一節だったのです、他の書には出ていません。これは「大漢和」さん、やはり「瘍科證治準縄」と書くべきだというのがイチャモンその一。

その二は、さきほどの「鳥」→「烏」です。これです(URLの0089を0092にすると「白癩」が出ます。)。「大漢和」の「白癩」。そうです私の推測通りやはり「諸病源候論」からの写し間違いでした。

あまり粗探しに現を抜かしているのも感心できませんが、「アラ」が有ってはいけないものに、有るのがいけない、そうお思いになりませんか・・・(^^;)

実は「日本国語大辞典」の「宝物集(ほうぶつしゅう)」の「白癩」を探して「新日本古典文学大系」を借りてきて三回読んだが有りません。「癩病」と「癩」は有ったのですが目的の「白癩」が無い。他の本で探してみますが、腹立ち紛れに書き殴ってしまいました。いけませんね、年寄りの短気は・・・ヽ(ー_ー )ノ マイッタ〜


カラスにしては憎々しさがありません・・・^^
 

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