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朝青龍・汗

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 9月30日(水)01時12分25秒
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  昨日書きましたがたまたま今「モンゴル」の世界制覇時代の歴史を調べています。1192(おなじみイイクニ)年の鎌倉幕府成立から14年後の1206年に鉄木真(テムジン)はクリルタイ(族長会議)で選ばれて「汗=ハン」になります。時に彼は51歳。三男のオゴタイ・ハンを経て孫のフビライ・ハンの世代1279年まで即位から73年でユーラシア大陸の大半を制覇します。

危なかったのは1241年のワールシュタットの戦いです。孫の一人バトゥ(抜都)はポーランド・ドイツの連合軍を破ります。更にハンガリーに進入、別の隊がヴェネチアに迫った時にオゴタイ・ハンの死去が伝えられ、全軍が一旦引き上げたのです。ヨーロッパにとってはオゴタイ様々だったでしょう。それが無ければ今のヨーロッパの人々はモンゴロイドかその混血に彩られていたかもしれません。1274年、1281年の日本もこれは神風によって救われましたが、陸続きだったらどうだったか、ゾッとします。

「史観」とか「歴史観」とか言いますがこのモンゴル族の勢いを例えば貝塚茂樹氏は「中国の歴史」(岩波新書・1969年)でこう分析します。

「それまで四隣の諸民族から圧迫され、仲間で抗争していた蒙古民族が何故に成吉思汗のもとで突然立ち上がって世界的な大帝国を建設しえたかは、歴史の大きな謎である。適者生存の遊牧社会において最も信頼できる勇者を集会によって推薦し、それに指導権を惜しみなくあたえる蒙古民族の民主集中主義が生み出したといえるであろう。」

宝島社の「日本史も分かる世界地図」(2007年)を監修している武光誠氏はこう言います。

「モンゴル帝国のあくなき征服活動には、むきだしの欲望と闘争心、鉄壁の団結力と肉親の愛憎があらわに透けて見える。宗教的な狂信や権威の仮面とは無縁の、人間くささがある。だからこそ成し遂げられた偉業だったのである。」

貝塚氏のも、どうでも良いというかステレオタイプな解説です。武光さんは、イスラム帝国やヒットラーやアレキサンドル大王やナポレオンなどの征服欲と対比させて仰有っているのかもしれません。チョットここで私の悪い癖を出して深読みしますと、この文章を書くときの武光氏の脳裏には「朝青龍」が紛れもなく有った、のではないでしょうか。それが「歴史観」を歪めているのではないかと・・・私の悪い癖です。

朝青龍(おや一発変換で出るのか^^)がまたもやガッツポーズをしたと言うので賛否両論が有ります。「横綱の風格」という言葉が毎度出てきますが私はこれは風格を論じても仕方がない人格を論じなければ、と思っています。たかがマイナーな一スポーツのチャンピオンでしょう。野球の長島氏、王氏、イチロー選手だけを拝見していても皆さん謙虚です。つまり抑制が効く。他のスポーツを例に挙げるまでもなく一流の人士は自己抑制が出来る。押尾某、沢尻某はそれができない。朝青龍もつまり一流の人士ではないのです。なので横綱の資格は有りません。モンゴルへ帰って国会議員でもやって威張っているのがお似合いだと私は思います。

人格形成が出来ていない人に「風格」だけを求めても、それは無理な相談だと、いつになく息巻いてしまった私でした。こういうのを「抑制」がきかないと申します・・・(^^;)


どうでえ貴様達っ!
 
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