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THE COUNCIL OF ANCYRA(備忘録)

 投稿者:リベル  投稿日:2009年11月 6日(金)13時58分5秒
返信・引用  編集済
  「the canons of the early councils(Ancyra,314)」

THE COUNCIL OF ANCYRA

CANON XVII - NOTES

DEFILERS of themselves with beasts, being also leprous, who have infected others [with the leprosy of this crime], the holy Synod commands to pray among the hiemantes.

ANCIENT EPITOME TO CANON XVII.

A leper who goes in to a beast or even to leprous women, shall pray with the hybernantes.

<greek>Deprwsantas</greek> is from <greek>leprow</greek> not from <greek>lepraw</greek> and therefore cannot mean "have been lepers," but "have made others rough and scabby." It is only in the passive and in Alexandrian Greek that it has the meaning to become leprous. Vide Liddell and Scott.

There seems but little doubt that the word is to be understood spiritually as suggested above.

The last word of the canon is also a source of confusion. Both Beveridge and Routh understand by the <greek>keimazomenoi</greek> those possessed with devils. Suicer however (Thesaurus) thinks that the penitents of the lowest degree are intended, who had no right to enter the church, but were exposed in the open porch to the inclemencies (<greek>keimwn</greek>) of the weather. But, after all it matters little, as the possessed also were forced to remain in the same place, and shared the same name.

Besides the grammatical reason for the meaning of <greek>leprwsantas</greek> given above there is another argument of Hefele's, as follows:

HEFELE.

It is clear that <greek>leprwsantas</greek> cannot possibly mean "those who have been lepers"; for there is no reason to be seen why those who were cured of that malady should have to remain outside the church among the flentes. Secondly, it is clear that the words <greek>leprous</greek> <greek>ontas</greek>, etc. are added to give force to the expression <greek>alogeusamenoi</greek>. The preceding canon had decreed different penalties for different kinds of <greek>alogeusamenoi</greek>. But that pronounced by canon xvii. being much severer than the preceding ones, the <greek>alogeusamenoi</greek> of this canon must be greater sinners than those of the former one. This greater guilt cannot consist in the fact of a literal leprosy; for this malady was not a consequence of bestiality. But their sin was evidently greater when they tempted others to commit it. It is therefore <greek>lepra</greek> in the figurative sense that we are to understand, and our canon thus means; "Those who were spiritually leprous through this sin, and tempting others to commit it made them leprous.".

http://biblestudy.churches.net/CCEL/FATHERS/NPNF214/2ANCYRA/ANCCN17.HTM

---------------------------------------------------------------------------

Canon XVII. Defilers of themselves with beasts, being also leprous, who have infected others [with the leprosy of this crime], the holy Synod commands to pray among the cheimazomenoi.

Ancient Epitome of Canon XVII: A leper who goes in to a beast or even to leprous women, shall pray with the hybernantes.

[The last word of the canon is also a source of confusion. Both Beveridge and Routh understand by the cheimazomenoi those possessed with devils. Suicer however (Thesaurus) thinks that the penitents of the lowest degree are intended, who had no right to enter the church, but were exposed in the open porch to the inclemencies [cheimon] of the weather. But, after all it matters little, as the possessed also were forced to remain in the same place, and shared the same name.]

http://www.voskrese.info/spl/ancycanon.html
 

Elizabeth Bishop(備忘録)

 投稿者:リベル  投稿日:2009年11月 6日(金)06時24分7秒
返信・引用  編集済
  映画「イン・ハー・シューズ」

One Art

The art of losing isn't hard to master;
so many things seem filled with the intent
to be lost that their loss is no disaster.

Lose something every day.  Accept the fluster
of lost door keys, the hour badly spent.
The art of losing isn't hard to master.

Then practice losing farther, losing faster:
places, and names, and where it was you meant
to travel.  None of these will bring disaster.

I lost my mother's watch.  And look! my last, or
next-to-last, of three loved houses went.
The art of losing isn't hard to master.

I lost two cities, lovely ones.  And, vaster,
some realms I owned, two rivers, a continent.
I miss them, but it wasn't a disaster.

---Even losing you (the joking voice, a gesture
I love) I shan't have lied.  It's evident
the art of losing's not too hard to master
though it may look like (Write it!) like disaster.

-- Elizabeth Bishop
 

下に追記を・・・

 投稿者:リベル  投稿日:2009年11月 3日(火)04時07分54秒
返信・引用
  10月29日の投稿に『』でくくって追記をしておきました。この追記がないとあの表を作った目的が分からなくなります・・・プッ・・・^^  

廃屋で落書きを・・・

 投稿者:リベル  投稿日:2009年10月31日(土)01時56分16秒
返信・引用  編集済
  ブラウンの「聖書の中の『らい』」(p.29)にミスが有ります。どこがおかしいか探してみてください、明々白々なミスが見付かります。

「ヨーロッパにおける最初のらいの記録は、原文は失われたので後代の引用によって知られています。アレクサンドリアの医師エラシストラトス(Erasistoratos,B.C.300〜250)の弟子ストラトン(Straton)の記録を、エペソのルフス(Ruphus,98ー117)が引用しています。」

実は下にも書いたように中世ヨーロッパの歴史を纏めようと、取り敢えず賦活剤として長年目を通さずにいた「Medieval leprosy reconsider」を読んでみました。標題通り中世のらいを再考していて、多くの学者が誤謬を犯しているのではないかというかなり挑戦的な小論文で、そう言う意味では啓発的であり面白くもあるのですが、この中の一文が気になりました。

「Sheldon Watts、Guenter Risse、Saul Brody各氏はギリシャの医師アレタイオスがleprosyを正確に記述した最初の人であるとしている(参考)」

この表のヨーロッパのところをご覧ください。B.C.3世紀に「ストラトンが「象皮病」として最初の正確な記述」、150年頃に「アレタイオスが(ヨーロッパで最初の)正確な記述」と記入しています。そしてそれぞれの「注」に両論併記と断っています。

これを思い出してブラウンの「聖書の中の『らい』」をもう一度よく読んでみたのです。そして当時はよく調べなかった「エラシストラトス、ストラトン、ルフス」を丹念に調べてみました。先ず変なのはお気付きの通りルフスの生年・没年です。98年から117年では19歳で死ななければなりません。そこであれこれ検索を重ねて辿り着いたのが「Rufus of Ephesus」。なるほど「エペソのルフス」でした。

ここの「Life」のところになんと有りました。「he lived in the time of Trajan(第13代ローマ皇帝・トラヤヌス) (98-117), which is probably correct」。98-117というのはトラヤヌスの在位期間だったのです。ブラウン氏、それを何か早とちりなさったのでしょうか、お陰で私は3時間ほど回り道を喰わされたというわけでした・・・(^^;)


ティーグラウンドに立つローマ皇帝トラヤヌス。グリップから先が折れています。ボールはしっかりお持ちですが・・・^^
 

一つ報告を・・・

 投稿者:リベル  投稿日:2009年10月29日(木)02時47分22秒
返信・引用  編集済
  ペンディングのままのテーマが三つ有って、夜も眠れません、は嘘ですが・・・。

兎に角先ず一つ片付けました。「スシュルタ・サンヒター」の中の「kușțha」の訳語の表です。20行が未完でした。「病理篇」に次いで二番目に多用されている部分と、最も少ない部分が残っていました。作業が辛くて・・・^^。

『収穫はしかし有りました。この「kușțha」の表を完成してみてはっきり言えることが見えてきました。1907年にBhishagratnaによって訳された「THE SUSHRUTA SAMHITA」の中のkușțhaの訳語は実に多彩です。正確に言えば乱雑です。大地原氏の「スシュルタ本集」の訳語も乱雑ですが、それにも増して統一性を欠きます。やはり1999年Sharma訳の「Susruta-Samhita with English Translation of Text and Dalhana's Commentary along with Critical Notes」が最も整合性を保っています。kușțhaが「leprosy」と「skin diseases」の二つの意味で用いられていることを承知の上で、極力原文に忠実に訳しています。こちらには梵語の原文が記載されているために、訳し方がハッキリ読み取れて、それだけで一つの論文が出来かねません、私はもう御免被りますが・・・。

一つだけ面白いページをご紹介しておきます。このページです。第1篇「総説篇」・第38章「薬物の分類」・第54節です。これは「スシュルタ・サンヒター」の中で「癩病」と「皮膚病」が原文で併記されている唯一の部分です。下から5行目にピンクのマーカーと緑色のボールペンでアンダーラインを引きました(大地原氏の訳)。

他にも「tvagāmaya」「tvagdoṣa」が単独で出てくるページは4ページだけ有ります(「kușțha」の訳語の表の中の茶色の文字)。いずれも「皮膚病」と梵語辞典には書いてあります。スシュルタさんもキッカリ区別しようとすれば出来たのではないか・・・と又昔の話を蒸し返しそうになるのでこの辺で逃げ出します・・・スタコラサッサ・・・^^』(『』内は2009年11月3日追記)


何とかやっつけました。最後の方はサンスクリット語と英語の中からまるで雲を掴むような作業でこれは参りました。後残る二つのテーマは「ヨーロッパの中世における歴史」と「らい」から「ハンセン病」への移行を成田稔氏が纏めておられるのを年表にする作業です。「人類進化年表」の合間を縫って、死ぬまでには完成してやるぞおっ・・・と喚いてもこれを読んでくださっている方は一日に10人ほどになりました。まだアクセス解析を付けたままだったので、開けてビックリ未だ来てくださっている方が有って、なのでこれを書く気になりました・・・(^^;)


残念ながら未だこんなには・・・
 

秋の空

 投稿者:リベル  投稿日:2009年10月17日(土)23時39分21秒
返信・引用  編集済
  たまには写真を飾りましょうか・・・^^

 

お疲れ様でした

 投稿者:小箱  投稿日:2009年10月13日(火)03時22分19秒
返信・引用
  長い間 有り難う御座いました。
日本でハンセン病らしきもの記載があってから1400年
1400年の歴史が終焉に向かっています。その終焉を見守った掲示板だったと思います。
お疲れ様でした。
 
    (リベル) 小箱さんこんばんは。長い間お世話になりました・・・m(_ _)m

>1400年の歴史が終焉に向かっています。その終焉を見守った掲示板だったと思います。

或る意味では「終焉」とも言えるでしょうけど、各療養所の将来構想に関しては不安材料が山積していますし、偏見や差別心の根絶は前途遼遠です。私は入所者の方々の平均年齢80.2歳(5月1日現在)より6歳若いのですが、ダメなことに気力・体力面で責任を伴う作業が不安になりフェードアウトすることを決意しました。「終焉を見守」ることかなわず、内心忸怩たる思いに責められています。

小箱さん本当にいろいろお世話になりました、感謝に堪えません。どうかお元気でお過ごしください・・・m(_ _)m(10.14 02:08)
 

お名残り惜しい

 投稿者:Ichiro  投稿日:2009年10月 9日(金)08時46分48秒
返信・引用
  本日で終了ですか。お名残り惜しいです。

 私に掲示板を作って頂いて感謝しています。大変勉強になりました。

 Ichiro拝
 
    (リベル) Ichiroさんこんにちは。

ほんとうにお名残惜しいですね。そうそう、IchiroさんにもBlogを作って差し上げましょうか?いや、もうご自分で作る実力がお有りですね・・・(^^;)(10.9 11:51)
 

まだ間に合うかしら?

 投稿者:あずき  投稿日:2009年10月 9日(金)01時17分58秒
返信・引用
  蛤のふたみに別れ行く秋ぞ  
    (リベル) あずきさんこんばんは。

  心から雪うつくしや西の雲

初めて出会いましたが爽やかな俳句ですね。チョットまだ早いですか・・・(^^;)(10.9 07:31)
 

塚も動け我泣声は秋の風

 投稿者:リベル  投稿日:2009年10月 8日(木)02時35分24秒
返信・引用  編集済
  世界的な免疫学者である多田富雄氏の「寡黙なる巨人」4月にご紹介しました。多田氏の著書からその苦闘の日々をわがことのように苦痛を伴いながら読んだものですが、それがあのMを襲っていた、10年も前のことだった、「もうズイブ前に死んだはずだよ」という冷酷な声も耳にしました。

私はMと年賀状の交換をしていなかったのです、私が嫌われていたから。一昨夜のことはまさに寝耳に水だったのです。彼はほとんど聞き取れない話し方で一生懸命話してくれました。その声と語り口は恐らく一生記憶から消えないと思います。彼の心境は恐らく明鏡止水、些かも苦痛を感じては居ないと・・・本当にそうなのだろうか、とも思います。寮の運動場で遠投を競い合った思い出が、胸を締め付けるように襲ってきて、無常だなあとつくづく感じます。

外は台風の真っ只中、風が何も知らずに吹き荒れています、何も知らずに。


それはそうと、この掲示板を閉鎖することにしました。長い間お付き合い頂いたこと、本当に感謝致します、有り難う御座いました・・・m(_ _)m


(付記:宣伝広告類で汚されないよう、「管理者の承認後掲載」という形にしてみました。様子を見て「パスワード方式」にするかもしれません。備忘録としての必要性も無くなった時点で消去します。)
 

痛恨の極み

 投稿者:リベル  投稿日:2009年10月 7日(水)01時38分16秒
返信・引用  編集済
  昨日の夕方から昔の友に電話を掛けまくりました、年に一度やることです。しかし昨日は違いました。何の拍子か寮の後輩に初めて電話したのです。皆んな元気でした、が、一人例外があったのです。

Mと言う男です。私は生涯に三人「こいつにはかなわない」という男が居ます。その内の二人は若くして亡くなりました、私は人に惚れ込むまいと思ったほどです、惚れ込むと死んでしまうから。最後の一人のMに夕べ電話しました。最後に会ったのは20年程前だったと思います、分かれるとき私に「Oさんは悪(わる)で出世すると思っていたのに…」と言いました、それ程私のことを知っていた男でした。

奥さんがお出になりました。「かくかくしかじかのOです」と言ったところ「主人は今チョット身体を悪くして人様とお話しできる状態ではないので…」と仰有るのでそれでは短いメッセージをお伝えくださいとメッセージを話し始めました。少しして突然彼が割り込んで話し始めました、最初から聞いていたのです、で私の話の中味を聞いて受話器を取ったというか切り替えたのでしょう。

脳梗塞で亡くなったと私の同期のものは聞いていたと、その後分かりましたが、話せるまでになっていました。話すだけで涙が出るほど嬉しいのに・・・彼は懸命に喋ってくれました、そういう男なのです。

私は死ぬまでに彼に確かめたいことが二つ有ったのです。一つは合宿所での話です。

合宿所には風呂がありません、近所の銭湯へ団体で通っていました。そこに勤めている女性がチョット若者には魅力がありました。私は特に魅力を感じて居らず実は理由がないのですが、彼女のお尻を触りました。「理由がないのですが」というのも変な言い方ですが、人間には時に、したくないことをしなければならないことも有ります。私には「劣情」のカケラもありませんでした。どうにも説明が付かないのですが、信じて頂けなくとも真実は今で言う「アイドル」視を止めさせたい、というような気持ちでした。私は女性のお尻を触っても全く快感を得ませんから。

でも全ての痴漢は私と同じ罪を着せられるでしょう、彼にも耐えられなかったのです。2時間ほどの隅田川での練習が終わって皆んなが艇庫へ入って行く時二人が最後になりました。いや二人が意識してそうしたのです。私が彼の背中に「オイ、M」と呼び掛けました。漕いでいる時彼は私の真後ろにいて、わざとオールを私の背中にぶつける仕草を繰り返したからです。彼は振り向きざま「オールを置け」と先輩の私に言いました。もしオールを置いていたらどちらかが死んでいたかもしれないと今でも思います。少なくとも某大学の運動部での不祥事とか何とかに発展していたでしょう。私はただ意気地がないためオールを置かなかったのですが。

あの時、俺は触りたくて触ったのではない、それを彼に告げたかったのですが彼は全く覚えていないと一生懸命、回らぬ舌で私に言いました。

もう一つ彼に聞きたかったことは、何故その頃非難を浴びていた「日本窒素」へ入ったのかという疑念です。正義の固まりのような彼は間違いなく自分を顧みず入社したはずです。それも尋ねました。

これも彼は否定しました。あまりどこにでもある理由を振りかざすので、「今私は嘘をついているんだよ」というメッセージかと思ったほどでしたが、とにかく彼は否定しました。

Mという男は「純」の固まりだと当時は思っていました。しかし私も今は「純」でなくなっているのですね。彼がタドタドしく答えた二つは、やはり「嘘」だと思います。私はあの男に全幅の信頼を置いています、だからこそこの二つの答えは「嘘」だと言い切れるのです。


いまこれを書いていて、私が彼を如何に愛しているか、それが良く分かりました、良く分かりました・・・。
 

今朝の天声人語

 投稿者:あずき  投稿日:2009年10月 5日(月)14時42分55秒
返信・引用
  http://www.asahi.com/paper/column.html

リベルさんはすでにご存知かもしれませんね。
今のリベルさんにぴったりの話題です。
 
    (リベル) あずきさん、こんにちは。

読みましたとも、読みましたとも。

あ、詩の話がと思って読み始めたら・・・。

で、痛感したのは私はもう自分は入れ込んで居るなあという感懐でした。天人氏の感想が素人っぽく新鮮に感じられました。と言うことは・・・ネ・・・(^^;)(10.5 17:00)
 

リファンピシを最初に使った人はだれでしょう

 投稿者:Ichiro  投稿日:2009年10月 5日(月)09時14分10秒
返信・引用  編集済
  リファンピシンをハンセン病に最初に使った人はだれでしょう。

日本の教科書 ハンセン病医学 1997
              総説現代ハンセン病医学 2007 を調べても書いてありません。

調べましたら
1: Lepr Rev. 1965 Jul;36(3):123-31. Rifamycin SV in the treatment of lepromatous leprosy.Opromolla DV, Lima Lde S, Caprara G.でした。

●結論:日本の教科書画く人しっかりしてください。
●後記:有難うございました。
 
    (リベル) Ichiroさんこんにちは。

この話題は「Ichiroの研究メモ」ならともかく、このBBSには専門的過ぎていけません。

リファンピシンというのは熊本地裁判決にも何度も出てきますが、歴史上は1971年に多剤併用療法の中心的薬剤として脚光を浴びた薬です。

なお、Opromolla氏についての詳細はこちらでどうぞ・・・。(10.5 17:17)
 

右顧左眄

 投稿者:リベル  投稿日:2009年10月 3日(土)01時46分58秒
返信・引用  編集済
  今正直言って迷っていることが有ります。あずきさんの新ブログを拝見していて、あまり感じが良いので私も真似たくなりました。そして一つ又作ってしまいました。

笑弁嘆語
―ショウベンタンゴの中には新旧・硬軟、雑多な物が無秩序に入っています。でも農薬に無縁の美味しい野菜を育てていますよ―

コロシアムの風景は夜は星空で、たまに流れ星が見られるというサービス付きです。

そして迷っていると申しますのは、ここを閉鎖しようかなと・・・迷っているのです。ただブログの場合は来て頂いた方が、ご自分からスレッドを立てることが出来ないので「参加性」の面でどちらかといえばやや閉鎖的になります。しばらく迷いながら右顧左眄していようかなと思っています。その内にくたばっちまうさ・・・などとも思いながら・・・(^^;)


夜のコロシアム
 

Re: お邪魔します。

 投稿者:邪魔風  投稿日:2009年10月 2日(金)19時17分26秒
返信・引用
  > No.4534[元記事へ]

あずきさんへのお返事。

>
> 野菜クズ、魚のあらや骨、貝殻など土に埋めていたそうです。エコなお話でした。

要するにそれが「貝塚」じゃないですか。新旧あるにしても。
 
    (リベル) 風が付いて居るぞ、これは北風さん久々のご登場なのではありませんか。ご無沙汰していてご免なさい。

早速大辞林を・・・「古代人が食べた貝の殻などが堆積(たいせき)したもの。ヨーロッパでは中石器時代以後,日本では縄文時代から弥生時代中期までのものが見られる。土器・石器・人骨・獣骨などがまじって発掘される。」

新明解も「古代人が食べ捨てた貝の殻などが、地中にうずまって出来た遺跡。」と来ますからやはり現代人の食べた貝では貝塚は出来ないのではないでしょうか、なんて理詰めの不粋なお答えは致しません。

いまこんなものと睨めっこしています。ヨーロッパの中石器時代と一口に言ってもご覧のように多くの文化があって、頭痛の種なのです。下の欄外に読めますでしょうか小さい字で書いてあります。「考古学上の推定年代にはさまざまな説があって、世界的にこのような年表をつくることは本来危険であるが・・・」。「危険」が男を駆り立てるのですね、因果なことに・・・(^^;)(10.2 23:55)
 

納豆ご飯にお奨めです

 投稿者:リベル  投稿日:2009年10月 2日(金)17時26分59秒
返信・引用  編集済
  私は10代の終わり頃から大学のボート部で合宿生活を重ねました。詳しくは忘れたのですが確か一ヶ月半ほどでレースを迎えました。合宿生活というのは私大以外はかなり切り詰めたもので、例えば朝食は納豆と沢庵と具の殆ど無い味噌汁だけで飯だけは食べ放題という代物でした。レース前一週間からは納豆が卵に変わります、生卵はダメという奴は特別に卵焼きにします。

そういうわけで私の東京での食生活の記憶は合宿飯が圧倒的なのです。今我が家は玄米ご飯です、もう1年以上でしょうかそれが健康に良いとかで全く無抵抗にそれに移行しました。大体食べ盛りを食糧難の時代に過ごしましたから、飯であれば何でも良いというのが魂に染み込んでいますから。

夕食(私は朝食、昼飯を食べないので唯一の食事なのです)で晩酌の後は「松茸ご飯」以外は(嘘。もう何年も食べていません)卵掛け・納豆ご飯です。晩酌のお通しに小田原の親戚からの山葵漬けをつまみます。いつ頃からか残した山葵漬けを納豆ご飯に混ぜるようになりました。

実はこれが美味いのです。最近では出てきた山葵漬けにはハナから手を付けません、もう「納豆ご飯」用にとっておくのです。これが旨い、実に美味い。もう、何とも言えません、絶句とまではどうかな・・・。でも騙されたと思って一度お試しください、ご損はないはずです、私の近親者に漬物屋をやっている物は有りませんからどうぞご心配なく・・・(^^)


ああ、美味しそう・・・^^
 

お邪魔します。

 投稿者:あずき  投稿日:2009年10月 2日(金)17時18分48秒
返信・引用
  すみませぬ。茶茶を入れるつもりではありませんが、こういうお話を聞く度に思い出すお話があります。どの本に書かれていたのかさえ忘れているのですが。

少女が庭で土を掘って遊んでいました。深く掘っていくとたくさんの貝殻があったそうです。それで「お母さん、これは貝塚でしょ。」と大喜びした少女に、お母さんは大変返事に困ったそうです。お母さんは永年、使い古しの油、野菜クズ、魚のあらや骨、貝殻など土に埋めていたそうです。エコなお話でした。

秋のプレゼント♪
 
    (リベル) おやあずきさんいらっしゃいませ。これはどうしたことか・・・思うに殆ど同時投稿だったのでしょう、気付かないでいま受信メールの方で知って飛んでできました。

これは返事にお困りでしょう。本当のことを言うと夢を壊してしまう、かと言って嘘を言うわけにも行かず・・・あずきママならどうなさったでしょう?

このアカトンボの写真は、本当に良いですね。棒に結びつけてあるリボンが妙に気になって、それが味わいを増しているのかも・・・(^^;)(10.2 23:28)
 

またもや大事件!

 投稿者:リベル  投稿日:2009年10月 2日(金)04時58分35秒
返信・引用  編集済
  数時間前の朝日新聞のオンライン版です。「この成果で、最古の人類の生活などをめぐる教科書の記述が書き換えられる可能性がある。」というのはオーバーではないと思います。同じ朝日新聞の記者である落合直之氏の「われら以外の人類」と言う本を既に読んでいましたがその中に「アルディピテクス・ラミダス」のことが詳しく書いてあります。この記事に出てくるティム・ホワイト氏にも会っておられる著者曰く「さらに、グループの慎重さを反映して、ホワイトは二足歩行に対し、はっきりしたことはいわないのです。その報告が待たれます」と。この本は2005年発行です。そして今日その報告がなされているのです・・・!

諏訪元氏が1992年、一本の大臼歯を発見してから17年、遂に今日「サイエンス誌」に全貌が発表されたわけです。ご覧の誌面では最後に「更に詳しくは今日の午後」と記されています。今のところこんな付録(PDF2本)も付いていますから興味のある方はどうぞ。

その付録から画像を頂戴してこんなページを作りました。少し辛気くさいのですが、良く眺めると実に、実に面白いのですが・・・この妙味をキチンとお伝えできない表現力の無さが、本当に焦れったくてなりません・・・。


昨日に続いて今日も・・・考古学の世界も正に日進月歩だという思いを、新たにさせられたニュースでした・・・。
 

大事件勃発!

 投稿者:リベル  投稿日:2009年10月 1日(木)02時45分34秒
返信・引用  編集済
  昨日の朝刊を広げて絶句しました。「日本で12万年前の石器が出た!」。心臓が喉から飛び出しそうになりました。ここには最も冷静に記事にしていると思われる読売新聞を。

私は目下考古学オタク状態で、毎日その辺りの本を読み漁って「人類進化年表」に纏めようとしているところなのですが、私の知識では日本の旧石器時代は3万5000年前頃から、縄文時代は1万2000年前頃からと決定していて、年表にもその様に書いていたところなのです。本当に我が目を疑いました、何かの間違いが発生している・・・そんな気持ちが生じるほどのパニック状態でした。

私は朝には大体頭が朦朧として来ています、疲れ果てて。よし兎に角寝ようと寝て昼前に起きてそれから徹底的に「旧石器時代」「石器時代」から高校の教科書で読み直しました。早速一昨日入手した「世界考古学事典」もフル回転・・ようやく夕方までに整理でき結論が出ました。

日本の旧石器時代は約3万5000年前からとするのは、間違いではありませんでした。縄文時代は約1万2000年前からが定説だったのが、現在では「放射性炭素年代測定」という手法の導入で1万6500年前と訂正されつつあることは先日ご紹介したとおりです。これは弥生時代の開始期が400〜500年遡るという話と共に目下、私は静観中なのです(参考)。

今私がやっていることは、中学・高校生に「人類の進化の課程」を成る可く分かり易く、解きほぐして解説することです。最新の情報をチェックすることは重要ですが学界や教育界がお墨付きを与えるまでは、無用の混乱を避けるため沈黙しておくというスタイルを守ります。年表にはこんな情報も有るよという注は付けておきましたが。以下がその注です。

「3万5000年前、日本列島に人類が現われた=沖縄本島の山下町第一洞穴人」の注として・・・

「沖縄県那覇市山下町第一洞穴で1968年に発見されました。約3万2000年前とされる6〜7歳の子供の大腿骨と脛骨で、日本では最古級の現生人類の人骨とされています。

現生人類の人骨は他に静岡県の浜北人(約1.8万年前)と沖縄県の港川人(約1.2万年前)が出土しています。

ここで注意しなければならないのは人類の存在を示唆する石器の出土状況です。1949年に相沢忠洋が群馬県みどり市笠懸町岩宿(いわじゅく)で関東ローム層中から発見した石器は少なくとも約3万年前(岩宿I石器文化)と約2万年前(岩宿II石器文化)の2種類有ります。

その後1983年に岩手県遠野市で発見された金取遺跡(かねどり)は約9万年前のものとされています。また2003年12月に、長崎県平戸市入口遺跡で発見された石器は約10万年前、さらに2009年9月島根県出雲市の砂原遺跡(すなばら)から発見された石器は約12万年前のものとされていますが、これらは果たして人類の定住を証明するものなのか検証が待たれています。」


これにて一件落着!・・・でいいのかな・・・再点検、再点検・・・(^^;)
 

朝青龍・汗

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 9月30日(水)01時12分25秒
返信・引用  編集済
  昨日書きましたがたまたま今「モンゴル」の世界制覇時代の歴史を調べています。1192(おなじみイイクニ)年の鎌倉幕府成立から14年後の1206年に鉄木真(テムジン)はクリルタイ(族長会議)で選ばれて「汗=ハン」になります。時に彼は51歳。三男のオゴタイ・ハンを経て孫のフビライ・ハンの世代1279年まで即位から73年でユーラシア大陸の大半を制覇します。

危なかったのは1241年のワールシュタットの戦いです。孫の一人バトゥ(抜都)はポーランド・ドイツの連合軍を破ります。更にハンガリーに進入、別の隊がヴェネチアに迫った時にオゴタイ・ハンの死去が伝えられ、全軍が一旦引き上げたのです。ヨーロッパにとってはオゴタイ様々だったでしょう。それが無ければ今のヨーロッパの人々はモンゴロイドかその混血に彩られていたかもしれません。1274年、1281年の日本もこれは神風によって救われましたが、陸続きだったらどうだったか、ゾッとします。

「史観」とか「歴史観」とか言いますがこのモンゴル族の勢いを例えば貝塚茂樹氏は「中国の歴史」(岩波新書・1969年)でこう分析します。

「それまで四隣の諸民族から圧迫され、仲間で抗争していた蒙古民族が何故に成吉思汗のもとで突然立ち上がって世界的な大帝国を建設しえたかは、歴史の大きな謎である。適者生存の遊牧社会において最も信頼できる勇者を集会によって推薦し、それに指導権を惜しみなくあたえる蒙古民族の民主集中主義が生み出したといえるであろう。」

宝島社の「日本史も分かる世界地図」(2007年)を監修している武光誠氏はこう言います。

「モンゴル帝国のあくなき征服活動には、むきだしの欲望と闘争心、鉄壁の団結力と肉親の愛憎があらわに透けて見える。宗教的な狂信や権威の仮面とは無縁の、人間くささがある。だからこそ成し遂げられた偉業だったのである。」

貝塚氏のも、どうでも良いというかステレオタイプな解説です。武光さんは、イスラム帝国やヒットラーやアレキサンドル大王やナポレオンなどの征服欲と対比させて仰有っているのかもしれません。チョットここで私の悪い癖を出して深読みしますと、この文章を書くときの武光氏の脳裏には「朝青龍」が紛れもなく有った、のではないでしょうか。それが「歴史観」を歪めているのではないかと・・・私の悪い癖です。

朝青龍(おや一発変換で出るのか^^)がまたもやガッツポーズをしたと言うので賛否両論が有ります。「横綱の風格」という言葉が毎度出てきますが私はこれは風格を論じても仕方がない人格を論じなければ、と思っています。たかがマイナーな一スポーツのチャンピオンでしょう。野球の長島氏、王氏、イチロー選手だけを拝見していても皆さん謙虚です。つまり抑制が効く。他のスポーツを例に挙げるまでもなく一流の人士は自己抑制が出来る。押尾某、沢尻某はそれができない。朝青龍もつまり一流の人士ではないのです。なので横綱の資格は有りません。モンゴルへ帰って国会議員でもやって威張っているのがお似合いだと私は思います。

人格形成が出来ていない人に「風格」だけを求めても、それは無理な相談だと、いつになく息巻いてしまった私でした。こういうのを「抑制」がきかないと申します・・・(^^;)


どうでえ貴様達っ!
 

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