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「ほぞ」って何だ?

 投稿者:リベル  投稿日:2016年10月17日(月)13時52分34秒
返信・引用 編集済
   世界の古い井戸について、まとめていると(参考)、色んな雑学に出会えて興が尽きません。新石器時代の初期、人類が定住を初めてまもなく、「井戸」を考え出しました。これがいわゆる大工仕事(木工作業)の始まりだろうと言われているそうですが、その記述の中に「cogging joint」という知らない言葉が出てきました。調べてみると日本語で「枘(ほぞ)」と言う奴です。聞いたことはあっても、正確にどんなものか知らないので、インターネットで調べたら、こんなサイトが見つかりました。思わず膝を打つようなわかりやすい説明が、見事な日本語で綴られています。ツイツイ紹介したくなって・・・。

 
 

現下の豊洲問題!よくまとまっています・・・

 投稿者:リベル  投稿日:2016年 9月23日(金)22時28分7秒
返信・引用 編集済
  小池知事、豊洲は「都庁改革の試金石」 従来体制を批判       (朝日新聞:2016年9月23日20時40分)


 東京都の築地市場(中央区)から移転予定の豊洲市場(江東区)で、主な建物の下に盛り土がなかった問題で、小池百合子都知事は23日の定例記者会見で、「無責任体制と言わざるを得ない」と従来の都の管理体制を厳しく批判した。盛り土のない設計に変更した決定者や時期を特定した上で、今月中に報告をまとめる方針を示した。

 「あいまいな部分を残している内容としか思えない」。小池知事は会見で、21日に事務方から報告された調査結果について指摘。「都庁が自律改革ができるのかどうかの試金石だ」と強調した。

 豊洲市場では環境基準を大きく上回るベンゼンなどの有害物質が検出されたため、2008年に都の「専門家会議」が汚染対策として敷地全体に盛り土などをするように提言。しかし、実際は主な建物5棟の地下に盛り土がなく、空間があったことが今月発覚。小池知事が事務方に経緯の調査を指示していた。

 小池知事がこの日、追加調査の要点に挙げたのは、①いつ、誰が盛り土しないことを決めたのか②都のウェブサイトや議会答弁が事実と違っていた理由③事態を知っていた職員が「専門家会議」委員に意見を求めなかった理由――の3点。

 知事によると、盛り土に代わる空間が設けられた理由について、事務方の調査では「地下水検査などの作業空間が必要」「設計過程で地下空間を設ける方針が固まった」などとあるだけで、決定者や時期などがあいまいだったという。「調べる量が膨大。(次の報告に)期待したい」とした。

 小池知事が厳しい言葉を並べたのは、担当部局の都中央卸売市場長に関する質問に答えた場面。08年から現職までの市場長5人が調査に対し、「盛り土をしない設計変更を知らなかった」という趣旨の説明をしていることを明かし、「これこそガバナンス、縦割りの問題。誰のお金で、誰のための市場なのか。無責任体制と言わざるを得ない」と批判した。

 今後、事務方の調査で焦点になるのは、市場施設の基本設計を発注した11年3月から、できあがった同6月ごろまでの約3カ月間に何があったかだ。都幹部によると、発注段階ではなかった「地下利用」の案が、作られた設計には盛り込まれたことが分かっている。

 この間、都の担当部局と受注した大手設計会社との協議の過程で設計変更された可能性が高いとみられているが、決定者や変更の目的についての調査は難航している。証言の食い違いが目立つ一方、裏付けられる文書記録が少ないためという。

 都議会答弁などで事実と異なる説明が続いていた点も、「同じ部局内でも、技術と事務の担当者間で情報共有が不十分。事実を知らない職員が多かった」などと話す職員は少なくない。専門家会議に報告しなかった点についても同様で、詳細な経緯の解明は難航しそうだ。
 

年表拝見しました

 投稿者:アール  投稿日:2016年 9月 2日(金)01時46分10秒
返信・引用
  とても興味深く、そして見易い年表でした。
有難うございました。
 
    (リベル) 
ご丁寧に、痛み入ります。ご活用頂ければ幸甚です・・・^^
 

これはCMではありません!!!???

 投稿者:リベル  投稿日:2015年11月 1日(日)01時54分58秒
返信・引用 編集済
  出典  

映画「ダラス・バイヤーズ・クラブ」から

 投稿者:リベル  投稿日:2015年10月20日(火)03時37分30秒
返信・引用
  マシュー・マコノヒー" I got one... one life, right? Mine. But I want someone else's sometimes."

字幕「人生は一度きりだけど、他人のも生きてみたい。」

「俺は一つの人生を生きてきた、俺のをな。だけど他人のも生きてみたいって、思うんだよな、たまに。」

妻に真剣な興味を抱くってことは、何となく「他人のを生きている」感じに、近いのです。おかしいかな???
 

福知山

 投稿者:エリカ  投稿日:2015年 9月25日(金)20時27分31秒
返信・引用
  お久しぶりです。何十年かぶりで福知山へ行ってきました。

祖父母が住んでいた家も建て替わっていました。祖父母はとっくの昔に他界しましたが。祖父母の家の近くの浄願寺(ご存じですか)も見てきました。道路は舗装され、子供の頃遊んだ小川も橋がかかっていました。子供の頃は川でおばちゃんたちが洗濯していました。
美和荘という宿舎で泊まったのですが、宿泊料金も安く食事がとてもおいしかったです。
 
    (リベル)  エリカさん、どうもご無沙汰いたしております。私は家内の実家が有るので、年に一回は必ず帰郷しています。ただ、浄願寺という名前は、いや他にも寺町などと言う町も有って、お寺は沢山有るのですが、もう名前は全部忘却の彼方です。来月帰る予定です。楽しみにしています・・・。  

「生きるとは、自分の物語をつくること」

 投稿者:リベル  投稿日:2015年 9月19日(土)03時07分45秒
返信・引用 編集済
  これは小川洋子さんと河合隼雄さんの対談集の名前です。たまたま先ほど読み終わったのですが、小川さんの後書きの、その最後の部分にこんな文章があります。

”個人が内面の混沌を物語の形で受け入れるのと同じように、国家や社会もまた、その集団の根底に横たわる不安や不満や傷や憂いを言葉で表現することにより、対立する相手集団と歩み寄れるのでは?”

この「少し長すぎるあとがき」と題する後書きは、私が最近読んだ中で、最も心打たれる名文だなあと、感じ入っていたのですが、この部分を読んだとたんに、下の光景が頭に浮かんで、一挙にシーンと興醒めになってしまいました。嗚呼!情けなや・・・。
 

「よろこび!」

 投稿者:リベル  投稿日:2015年 7月28日(火)00時26分42秒
返信・引用
   

天声人語から(備忘録)

 投稿者:リベル  投稿日:2015年 7月26日(日)04時20分32秒
返信・引用 編集済
  (天声人語)鶴見俊輔さん逝く    2015年7月25日05時00分

 東大が嫌い。成績が一番のやつが徹底的に嫌い。哲学者鶴見俊輔さんの信条だ。父は東大出の政治家で、一番に執着した。鶴見さんの見るところ、一番の人間は状況次第で考えをころころ変えて恥とも思わない▼二番は認めるというところが面白い。二番になった人間は努力すれば一番になれるのに、「そこの追い込みをしないところに器量があり、遊びがある」。鶴見さんを語るのに器量と遊びという二つの言葉は欠かせないように思う▼正義というものの危うさをしばしば語った。正義の人は純粋さを追い求め、ついに暴虐に行きつく。不良だった鶴見少年を叱る母はまさにそういう人だった。だから自分は「悪人でいたい」。これも鶴見思想の一つの核心だろう▼借り物でない思考と裃(かみしも)を脱いだ言葉があるから、鶴見さんを読むのは心地いい。笑いを愛し、山上たつひこさんの人気漫画『がきデカ』を評価した。己の欲望に忠実な主人公「こまわり君」は、戦争に行けと命令されても従うまい。鶴見さんはそこに日本の希望を見た▼「ベ平連」や「九条の会」を動かした行動の人は、70歳で老いを自覚したという。80歳で初詩集『もうろくの春』を出版。「もうろくは一つの創造だ」と老境を楽しんでいた。享年93▼「失敗したと思う時にあともどりをする」。その大切さを説いた姿勢を引き継ぎたい。勝利への展望が失われても戦争をやめられなかった戦前と、明白な「違憲」法案への批判に耳を貸さない今の政権の姿が重なる。
 

Re: 御教授ください 80万年前のhand axe

 投稿者:Ichiro  投稿日:2015年 3月29日(日)20時15分3秒
返信・引用
  > No.5331[元記事へ]

Ichiroさんへのお返事。

りベルさん 有難うございました。これの様です。感謝。
 

御教授ください 80万年前のhand axe

 投稿者:Ichiro  投稿日:2015年 3月22日(日)20時30分3秒
返信・引用
  こんばんは 本日聞いた話ですが質問します。80万年前のHand axeが大量に東アフリカで発見され、その写真が東京大学出版会から発表されているそうですが、遠くからみたので、よくわかりません。恐らく先生は御存じだろうと思い質問します。 Ichiro  
    (リベル) Ichiroさん、こんにちは、ご無沙汰しています。
おっしゃっている写真は、存じ上げませんが・・・。こんなのも参考になるかもしれません、ご覧ください。

http://www.jsps.go.jp/j-grantsinaid/22_letter/data/news_2013_vol1/p13.pdf#search='%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%89%E3%82%A2%E3%82%AF%E3%82%B9+%E6%9D%B1%E3%82%A2%E3%83%95%E3%83%AA%E3%82%AB'
 

ギザールという学者

 投稿者:リベル  投稿日:2015年 1月24日(土)01時38分43秒
返信・引用 編集済
   或る大きな会議室で、チョット学術的な講演会が終わり、モタモタしている内に、斜め前方に居た男性と二人だけ取り残されました。ふと気付くと何と彼は学生時代の後輩で、「ヤア!」、「ヨウ!」としばし奇遇の喜びを味わいながら、話題は今聞いたいくらかexcitingな講演の中身に及んだのですが、そこでとんでもないハプニングが起こりました。彼が「あのギザールの説によれば…」と言うので、「エッ!ギザールって?」と問いかけました。実は私は、その名を全く知らなかったのです。彼は、信じられない、巫山戯ているのかな?みたいな顔をして、「大槻さん、ギザールだよ、本当に知らないんですか?」。「済まん、本当に知らないんだよ…」。「エーッ・・・」としらけた空気になってしまいました。

「お茶でも行こうか?」「そうですね。」「何にする? 喉渇いたしアイスクリームでも食うか…」。そこで彼がこう言ったのでハットしました。「エッ! そんなもんで良いんですか?」。彼は結果的には、無礼な言い方になってしまったので、お詫びの印に何かご馳走しなければ、と思い込んでいたようなのです。私には一切そんな気持ちが無く、自分の無知や勉強のレベルの低さに、ただただ愕然としただけだったのです。そして、彼に「ギザール」のことを教わろうとお茶に誘っただけだったのです。それが彼にも分かったのか、やや曇っていた顔が、サァーツと晴れて・・・

と言う場面で、目が覚めました。起き上がりながら、ところで「ギザール」って何者だろう?俺は「人名歴史年表」を作ったんだから、いくらいい加減に作っていても、名前くらい覚えていても良いだろうに…と、コーヒーを淹れ終わってPCで確かめました。「ファイナル・ファンタジー」に出てくる言葉でした。20年か30年昔に遊んだゲームです。

変な夢を見たものです・・・^^

 

備忘録(再掲載)

 投稿者:リベル  投稿日:2015年 1月15日(木)11時00分49秒
返信・引用 編集済
    アフリカの代表的な主食はキャッサバ(1億1,800万トン)、トウモロコシ(5,300万トン)、ヤムイモ(5,000万トン)、ソルガム(2,500万トン)、プランテインバナナ(2,400万トン)、米(2,300万トン)、小麦(2,100万トン)、キビ(2,000万トン)、サツマイモ(1,400万トン)およびバナナ(1,200万トン)である(FAOSTAT, 2008)。ソルガムは耐寒性のある作物であるため、こうした主食のなかでも特異な地位を占めている。ソルガムは温暖な地域でも乾燥した地域でも栽培することができるという点で極めてユニークである。(アメリカ穀物協会著「ソルガムガイドブック」から)

エジプト西方砂漠に関する研究は、これまでエジプト東方砂漠のものと比較して少ないという指摘がなされてきた 2。このことは歴史学や考古学に比重を置いた研究が比較的少ないことを意味するが、決してエジプト西方砂漠研究全般としては当てはまるものではない。西方砂漠地域では、後述する G. カートン=トンプソン Caton-Thompson とE. W. ガードナーGardnerによって1930年から1933年にかけて行われた最初の試みの後、F. ウェンドルフ Wendorf と R. シルド Schild によって組織された先史学合同調査隊Combined Prehistoric Expedition(CPE)、F. ハサン Hassan と D. ホルムズ Holmes によるハルガ・オアシスにおける新石器に関する調査、1982 年から 1983 年の西方砂漠調査隊Western Desert Expedition(WDE)による住居址研究が行われている。これらの調査の中で特に注目すべきはウェンドルフらによるものである。彼らによって広範囲に渡って実施された調査は、現在ではほぼ人が暮らすことが出来ないようなナブタ・プラヤをはじめとした砂漠地域の遺跡の中において、井戸や炉のような人々の活動と麦やガゼルなどの動植物の痕跡を明らかにしたのである 3。このことから、恐らく気候が湿潤化し始めた紀元前 10000 年頃から紀元前 6000 年頃にナイル世界から人々が西方のフロンティアを求めて移住してきたのだと考えられている。ハルガ・オアシスにも同様の状況が起こったのであろう。(大城道則著「古代エジプトにおけるハルガ・オアシスの存在意義
―エジプト西方砂漠とナイル世界とのネットワーク―」から)
 


ようやく、「謝罪」まで来ました・・・!

 投稿者:リベル  投稿日:2014年 9月12日(金)02時08分26秒
返信・引用 編集済
 
※8分頃まで無音です、お待ちください。


■慰安婦報道でも謝罪(朝日新聞:2014年9月11日20時21分)

 一方、朝日新聞社が過去の慰安婦報道で、韓国・済州島で慰安婦を強制連行したとする吉田清治氏(故人)の証言を虚偽と判断し、関連の記事を取り消したことについて、木村社長は「訂正が遅きに失したことについて読者のみなさまにおわびいたします」と語りました。

◇検証後「進退を判断」(毎日新聞:2014年09月11日 19時50分)

 過去の従軍慰安婦報道について「慰安婦狩り」をしたとする吉田清治氏(故人)の証言を取り消すなどした検証記事(8月5、6日朝刊)で謝罪がなかったことなどに批判が出ていることについても、木村社長は「誤った記事で訂正は遅きに失したことを謝罪したい」と、この問題で初めて謝罪した。


◆国益害した慰安婦報道(読売新聞:2014年09月12日 01時17分)

 朝日は、記事撤回を海外にも発信するという。海外での誤った認識を正すことが重要だ。

 朝日新聞の誤った報道が、内外に大きな影響を及ぼしたのは、慰安婦問題も同様である。

 朝日新聞は8月5日朝刊の特集面で、これまでの慰安婦報道についての検証結果を掲載した。

 その中で、韓国・済州島で慰安婦を強制連行したとした吉田清治氏の証言が虚偽であったことは認め、証言をもとにした少なくとも16本の記事を取り消した。しかし、それに対する謝罪の文言はなく、厳しい批判を受けていた。

 この点について、木村社長は「誤った記事を掲載し、訂正が遅きに失したことについて、読者におわびする」と謝罪した。

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ただ一つだけ、引っかかることがあります。あくまでも「吉田調書」を前面に出して、「慰安婦問題」も御座いますが・・・とする、姑息さです。どこまで行っても、「フェア」になれない新聞社ですね。この段階に到るには、殺到する「購読契約解除」に耐えかねての、販売部門からの猛烈な突き上げが、大きな契機になったとの内部説が囁かれています・・・然もありなん・・・。
 

朝日新聞にも心ある人達が居るとは、思っていましたが・・・

 投稿者:リベル  投稿日:2014年 9月 5日(金)03時17分18秒
返信・引用 編集済
  朝日新聞「幹部級」も自社批判ツイート続々 池上コラム問題で「9月革命」が起きたのか    J-CASTニュース(2014/9/4 18:31)

   一度は朝日新聞に掲載を拒否された池上彰さんのコラムが一転、2014年9月4日朝刊紙面で掲載されたのは、社内外の激しい批判が一因だった。朝日新聞では記者によるツイッターの活用を進めており、ツイッターを通じて社内からの批判も可視化された。一連の自社批判には、末端の若手記者にとどまらず、編集委員などスター記者、さらには管理職など「幹部級」記者にも広がり、その数はあっという間に数十人に膨れ上がった。

   記者たちは、結果的にコラムが掲載されたことには安堵しながらも、コラムを実際に読んでみて「『この内容では掲載できません』の理由がますます分からない」などと当初の決定を改めて批判する声も多い。当初の掲載拒否の判断は木村伊量(ただかず)社長を頂点とする首脳陣が主導したとみられており、社内では「木村体制」への批判が高まっているともみられる。帝政ロシアが倒れた「10月革命」になぞらえて「9月革命」の可能性も指摘されはじめた。

社内の統制が取れていないので「情報が漏れ、現場が声を上げる」

   2014年9月3日夕方にコラム掲載が決まってからも、当初の決定を批判する声は朝日社内でやまなかった。尾形聡彦・国際報道部デスクは

「池上さんのコラムの掲載を見合わせていたことは、朝日新聞として間違った判断だったと思います。今日、社内で多くの議論があり、私を含め大勢の記者たちが『即日掲載すべきだ』と意見しました。そうした議論を踏まえ、掲載が決まりました。読者のみなさんや池上さんに本当に申し訳なく思います」

とツイート。社内の声が掲載を後押ししたことを明かした。北野隆一・編集委員は、一連の経緯を

「今回、結果的に社内の議論がオープンになったのは決して悪いことではなかった。でも、そもそも新聞は載せた記事の中身が話題になるべきで、新聞社の内幕が話題になるのはちょっと恥ずかしい」

と振り返った。複数いる朝刊編集長のひとり、沢村亙(わたる)氏は、社内の統制がとれない体質が、災い転じて福となしたとみているようだ。

「うちの会社も官僚的な体質があるが、主筆とか社長とかトップの鶴のひと声で軍隊のように一糸乱れずに動くこともできない。だからこそ情報が漏れ、現場が声を上げる。つくづく危機管理には向かない組織と思うが、これはこれでいい、と思う」

天声人語・前筆者「『この内容では掲載できません』の理由がますます分からない」

   9月4日朝になって紙面のコラムを読んだ記者からも、「不掲載」を支持する声は皆無だ。

   07年から13年まで天声人語の執筆を担当した冨永格(ただし)特別編集委員は、

「厳しいけれど、いつもの『池上節』の範囲内だと思います。こういうことを書いていただくのがこのコラムの狙い、かつ人気の理由でしょう。『この内容では掲載できません』の理由がますます分からない」

と、コラムの掲載は当然だとの見方を示した。石合力・国際報道部長も、

「見識ある批判に対して、謙虚に耳を傾けたいと思います」
とツイートした。
   今回の一連のツイートは、最初は末端記者クラスから始まったが、一気に中堅、幹部級まで広がったのが特徴だ。

「もし本当なら言論機関の自殺行為だ。朝日新聞社の対応に私は個人として賛同しない。少なからぬ同僚記者たちもそう思っている」(谷津憲郎・社会部遊軍長)
「北京出張で体調を壊し、帰宅すると冷蔵庫が『自然死』していて中は腐臭が漂い、池上彰さんのコラムの問題で会社の姿勢に腹が立って眠れず」(吉岡桂子・編集委員)
「掲載した上で、異論反論があるなら、紙面上で堂々と意見をぶつけ合えばいい。言葉には言葉で、それこそ読者は読みたいはず。いまからでも遅くない」(真鍋弘樹・ニューヨーク支局長)

「どの顔を思い浮かべても『こんな判断するわけない』という人物ばかり」

   中でも冨永氏は、

「ネット上の罵詈雑言や週刊誌広告の煽情とはワケが違います。『善意の批判』までを封じては言論空間が成り立ちません。度量の広さを示すチャンスをみすみす逃したばかりか、発信力のある書き手を『敵』に回してしまった。何重もの意味で『らしく』ない、もったいない対応でした」
「私の年齢になると編集幹部の多くと顔見知りですが、不思議でならないのは、どの顔を思い浮かべても『こんな判断するわけない』という人物ばかり。ここから何とかリセットできないものでしょうか」

と、今回の判断についての不可解さをにじませた。

   また、かなり早い段階から自社の対応を批判していた神田大介・テヘラン支局長は、

「別に記者アカウントの批判ツイートで決定がひっくり返ったってわけじゃないと思いますよ。もっと大きいうねりが社内であったようです」
「(まあ昔っから社内では、『朝日新聞のことを知りたければ文春・新潮を読め』ってよく言われたもんです。社員の知らない会社の話が満載)」

とツイート。社内で何らかの大きなうねりが起きており、それがまた週刊誌に報じられる可能性をほのめかした。

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しかし、これで朝日新聞の犯した罪が、いくらかでも軽くなったわけではありません。

「 過ちがあったなら、訂正するのは当然。でも、遅きに失したのではないか。過ちがあれば、率直に認めること。でも、潔くないのではないか。過ちを訂正するなら、謝罪もするべきではないか。

 朝日新聞は、8月5日付と6日付朝刊で、「慰安婦問題を考える」と題し、自社の過去の慰安婦報道を検証しました。これを読んだ私の感想が、冒頭のものです。」

で始まる、池上さんの主張を、自紙に掲載したのであれば、「謝罪もするべき」と認めたのでは無いのでしょうか。近々謝罪文が掲載され、同時に英語と韓国語での詳細説明がなされることを、これは朝日新聞のために、というか日本人の名誉のためにも、そして子供達や若い人達に何が正しいかを示すためにも、心からお待ちする次第です。
 

朝日新聞のおかした間違い!

 投稿者:リベル  投稿日:2014年 9月 3日(水)03時01分42秒
返信・引用 編集済
  言うまでもないこと、と、口をつぐんでいましたが、福島の吉田所長関連の誤報と池上彰氏関連の報道に接して、「こりゃいかんわ」と、痛む腰を上げました。朝日の犯した罪は、二つだと思っています。

(一)この頃、他の新聞やテレビ報道すら、スッと受け付けることが出来なくなっていることに気付きました。一切のメディアを、無条件では受け入れなくなってしまったのです。何がしかの疑いを持って、メディアに接することは、それはそれで大人の知恵として弁えては居たのですが、その基本とは違う次元での、メディア不信が染みついてしまっているのに、唖然としているわけです。間違った事実を報道しながら、口を拭って、知らぬ顔の半兵衛を決め込もうとする、朝日の罪は、これはこれは、大きいです。

(二)日本の一流紙が8月5日には「本質直視を」、28日には「核心は変わらず」と見出しを打ちました。これは、一見して、つまり記事を読まなくても、昔の中高生の頃の気取った優等生の「詭弁」を思わせます。素直でない記事内容であろう事を、言外に漂わせているので、私は記事を読みませんでした。他紙やテレビの報道で、「期待通りの」記事内容であったことは、知りましたが。
 このような、卑劣な内容の文章、それを掲載するという、「evil」としか表現できない行為、これが若い人々に与える悪影響は、非道い物だと思います。これは日本の大新聞(?)がやってはいけないことでしょう。

 この二つが、朝日新聞の犯した、大きな間違いで、この禍根はもう消せないのです。沢尻エリカではありませんが、”シット”であり、”ファック・ユー”であり、”サン・ノブ・ア・ビッチ”であります。日本語で罵るに値しません!!!
 

福島・吉田調書 「撤退」も命令違反もなかった:朝日の誤報!

 投稿者:リベル  投稿日:2014年 9月 2日(火)07時25分31秒
返信・引用 編集済
  [読売新聞社説]福島・吉田調書 「撤退」も命令違反もなかった      2014年08月31日 08時55分


 東京電力福島第一原子力発電所事故を巡る「吉田調書」の全容が明らかになった。


 政府の事故調査・検証委員会が、吉田昌郎元所長から生前に聴取した証言の記録である。

 事実関係のほとんどは、政府事故調の報告書に反映されている。とはいえ、事故対応に当たった作業員の苦労や、吉田氏の心情を生々しく伝える貴重な資料だ。

 津波により、原発冷却に必要な電源が失われた。原子炉に注水し、圧力も抜かねばならなかった。

 事態が切迫する中、当時の菅首相ら官邸サイドや、東電本店から、注水作業などを催促する指示が矢継ぎ早に来た。

 「効果的なレスキュー(支援)が何もないという、ものすごい恨みつらみが残っている」と、吉田氏は不満を口にしている。

 現場の状況を踏まえぬ菅氏らの過剰介入が、作業を遅らせ、士気を損なった。重い教訓である。

 菅氏が、東電の「全面撤退」を阻止したと主張している点についても、吉田氏は「誰が撤退なんて話をしているんだと言いたいぐらいだ」と反発し、「現場は逃げていない」とも述べている。

 吉田調書を入手したとする朝日新聞は、5月20日付朝刊で、作業員が吉田所長の命令に反し、第二原発に撤退したと報じている。

 だが、調書を読む限り、吉田氏は、部下が指示に違反したとは認識していない。

 吉田氏は、「2F(第二原発)に行けとは言っていない」が、指示が伝わる過程で解釈が変わったと説明している。

 その上で、作業に必要な要員以外は「2Fに行った方がはるかに正しい」と、退避を選択した部下の判断を評価した。現場は、放射線量が高く危険な状況だった。

 退避の経緯は、政府事故調の報告書にも詳述されている。朝日新聞の報道内容は解せない。

 吉田氏は「文脈等をふまえなくては誤解を生む」と、調書の非公開を求めていた。しかし、朝日新聞の報道などを受け、証言は独り歩きを始めている。政府は「かえって本人の遺志に反する」として、近く公開する方針だ。

 作業員の奮闘は海外でも称賛されてきた。だが、朝日新聞の「撤退」報道に基づき、米紙が「作業員が命令に反して逃げた」と報じるなど誤解が広がっている。

 吉田氏は、危険を顧みぬ作業員の事故対応に、「本当に感動した」と語っている。彼らの名誉のためにも公開は妥当な措置である。

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点検 吉田調書(上)     2014年08月31日 09時00分

「所員撤退」世界に誤解


 東京電力福島第一原発の吉田昌郎まさお元所長(昨年7月死去)が政府事故調査・検証委員会の聴取に応じた「吉田調書」には、未曽有の過酷事故と向き合った現場の苦闘ぶりが生々しい言葉で記録されている。

 調書から酌むべき教訓は何か。非公開とされてきた調書を巡る報道がもたらした影響も含めて点検する。


■朝日報道「お門違い」憤る声

 「命令に反し、パニックに陥った所員は原発から逃げ出した」(米紙ニューヨーク・タイムズ)

 「恥ずべき物語があらわとなった。サムライ・スピリットの手本とはほど遠く、90%の所員は命令に従わず逃げた」(英紙ザ・タイムズ)

 「福島の『ヒーローたち』は実は怖くなって逃げ出していた」(豪紙オーストラリアン)

 今年5月、海外の有力メディアが一斉に報じたのは、福島第一原発の9割の所員が現場を放棄し、約10キロ離れた福島第二原発に逃げたとする衝撃的な内容だった。

 これらの記事は、吉田氏の調書を入手したとされる朝日新聞が5月20日朝刊の1面トップで掲載した「所員の9割が所長命令に違反して撤退した」との記事を受けたものだ。それぞれ朝日新聞の記事を引用するなどして報じている。

 とりわけ韓国メディアは辛辣しんらつだった。ソウル新聞は旅客船「セウォル号」の沈没事故で船長が我先に逃げ出したことになぞらえ、「福島の事故でもセウォル号の船員たちのように……」と報道。国民日報も「日本版のセウォル号事件と注目されている」と伝えた。

 だが調書には、吉田氏が所員らの行動を「命令違反」や「撤退」と受け止めていたという記述は見あたらない。

 事故発生4日後の2011年3月15日朝、第一原発で爆発音がした。吉田氏は、2号機の格納容器が破損した可能性があると判断し、最小限の所員を除いて、第一原発の近辺で放射線量の低い場所へ「退避」するよう指示。所員らは車で第二原発へ退避した。

 吉田氏は調書で「2F(第二原発)に行けとは言っていないんですよ」と述べている。この発言だけを読めば、所員が「命令違反」をしたようにも思える。

 しかし、吉田氏は続けてこう語っている。「よく考えれば、(放射線量の低い)2Fに行った方がはるかに正しいと思ったわけです」。つまり、第二原発に向かった所員の判断は結果的に正しいと受け止めていたのだ。所員が指示と異なる行動を取ったのは、「伝言ゲーム」による指示の混乱が原因だったとも分析している。「撤退」という言葉も使っていないと証言した。

 ところが、朝日新聞は今年5月20日朝刊で、「正しいと思った」という吉田氏の言葉には一切触れないまま、「命令違反」「撤退」と断じた。そして、この報道が瞬く間に世界に拡散した。

 事故直後から危険を顧みず、不眠不休で収束作業に取り組んだ所員は、それまで欧米のメディアから「日本を救った名もない勇者たち」とたたえられていた。

 吉田氏とともに第一原発の免震重要棟に詰め、命がけで作業を続けた元所員は、朝日新聞の報道に憤る。「撤退などあり得ない。全くのお門違いで、悪意すら感じる。我々は吉田所長と強い信頼関係で結ばれていた」


■過酷な環境で健闘

向殿政男・明大名誉教授(安全学)

東電の社外有識者による事故調査検証委員会で委員を務めた向殿政男(むかいどのまさお)・明大名誉教授(安全学) 72

 検証委員として、事故の3か月後から1年間にわたって東電から報告を受け、大勢の東電関係者からもヒアリングを行った。私たちの調査では、現場に残りたいと志願し、命がけで作業にあたった所員がたくさんいた。朝日新聞の「命令違反で撤退」という記事を読んだ時、直感的におかしい、事実と異なるのではないかと感じた。

 所員らの命が危ぶまれるような危機に陥った際、必要な一部の人員を第一原発に残し、その他の所員を一時的に安全な第二原発に避難させるのは非常に理にかなっている。吉田氏が「命令違反」と受け止めなかったのは当然だろう。

 事故調査の検証をした立場からみれば、東電本店からの支援が限定的な中で、吉田氏や所員は過酷な環境で立派な仕事をしたと思う。朝日新聞の報道によって、ことさらにおとしめられ、誇りを傷つけられたと感じた人もいただろう。

 事故の検証では、淡々と事実を積み上げることが後世にとって重要だ。津波の想定など原発の安全基準はどのように作られていたかを中心に意見を述べたが、東電の報告書案に「仕方なかった」「よくやった」などの表現が盛り込まれていたときには、「事実だけを客観的に記述すべきだ」と指示した。

 事故の原因や状況は徐々に明らかになりつつあるが、まだ不明な部分も多い。後世の検証のために吉田調書を含め、さらなる情報公開が必要だ。


■調書のポイント

 全員撤退して身を引くということは言っていませんよ。私は残りますし、当然、操作する人間は残すけれども(中略)関係ない人間は退避させますからということを言っただけです。


■誤った認識、是正を

大森義夫・日本文化大学長

国家の危機管理に詳しい元内閣情報調査室長の大森義夫おおもりよしお・日本文化大学長 74

 「吉田調書」を巡る報道では、所員が吉田氏の命令に違反して撤退したとする朝日新聞の記事と、それに反論する他紙の記事があり、真実がどこにあるのか注目していた。実際に調書を読むと、朝日新聞は全くのウソを書いているわけではないが、一部分を切り取って拡大したのではないかと疑わざるを得ない。

 「命令違反」の根拠とされているのが、調書にある「本当は私、2Fに行けと言っていないんですよ」という吉田氏の言葉だろう。しかし、直後の「よく考えれば2Fに行った方がはるかに正しいと思ったわけです」という吉田氏の言葉は記事のどこにも出てこない。

 最大の問題は、諸外国に、福島第一原発の所員が「所長の命令に背いて逃げた」と思われたことだ。それまでは、最後まで残った所員たちが「フクシマ・フィフティー」とたたえられるなど、勇気ある人たちと報じられていた。朝日新聞に「命令違反」と報道されたことにより、危機に臨むときに逃げないという日本人の精神、名誉を損ねてしまった。

 吉田氏や部下の所員たちのため、諸外国に広まった誤った認識は是正されるべきだ。朝日新聞には説明責任が生じた。国民の知る権利に応えるためにも、政府は、吉田氏以外の関係者の調書も広く公開すべきだ。

 吉田氏の調書は9月に公開されるとのことだが、どの報道機関も調書を正しく伝えてほしい。

■調書のポイント

 (放射)線量が落ち着いているところで一回退避してくれというつもりで言ったんですが(中略)よく考えれば2Fに行った方がはるかに正しいと思ったわけです。

 

朝日新聞・慰安婦問題:読売新聞の検証

 投稿者:リベル  投稿日:2014年 8月29日(金)00時33分37秒
返信・引用 編集済
  [検証 朝日「慰安婦」報道](1)虚構の「強制連行」拡散    2014年08月28日 09時00分

 朝日新聞がいわゆる従軍慰安婦を巡り、「強制連行」の証言を紹介した記事を32年後になって取り消した。だが、一連の報道は「日本軍に組織的に強制連行された慰安婦」というねじ曲げられた歴史の固定化に深く関与した。慰安婦の虚構は今なお世界に拡散し続け、修正される見通しもない。戦後、例がないほど日本に負の遺産をもたらした朝日「慰安婦」報道を検証する。

 「日本政府は、戦時中の日本軍による『性奴隷制(sexual slavery)』の実行犯を訴追し、有罪であれば処罰を行うべきだ」

 7月23日、スイス・ジュネーブ。国連で人権問題を扱う自由権規約委員会が慰安婦制度について、こんな勧告を採択した。勧告には法的拘束力はないが、日本政府による〈1〉元慰安婦への賠償〈2〉証拠の開示――なども列挙された。

 採択に先立ち、7月15日と16日に行われた協議で、日本の山中修外務省人権人道課長が、「『性奴隷』と呼ぶのは適当ではない」と2度反論したが、受け入れられなかった。

 日本への批判のまなざしは国連にとどまらない。外務省によると、米国だけで慰安婦像が2体、慰安婦の石碑が6基ある。韓国の慰安婦像を加えるとさらに増える。韓国系団体などが建立にかかわっており、日本への国際的包囲網を敷く狙いがあるとみられている。

 戦後70年近くたっても日本がことさら激しい非難を浴び続ける最大の理由は、「国が慰安婦にするため、朝鮮人女性を強制連行した」との誤解にある。日本政府の調査では「強制連行」の証拠資料は一切見つかっていない。虚構の原点をたどると、1982年9月2日朝日新聞朝刊(大阪本社版)の社会面記事に行き着く。

 「朝鮮の女性 私も連行」

 「暴行加え無理やり」

 大見出しで、元「山口県労務報国会下関支部動員部長」を名乗る吉田清治氏(故人)が大阪市での講演で語った「強制連行」の様子を詳報している。吉田氏が83年7月、「強制連行」を扱った著書「私の戦争犯罪 朝鮮人強制連行」(三一書房)を出版する前の報道だ。朝日はこの記事を含め、少なくとも16回にわたり吉田証言を取り上げた。

 92年頃から、研究者らが吉田証言の信ぴょう性に疑義を投げかけ始めても、94年1月25日の「創刊115周年記念特集」では、むしろ一連の報道が、慰安婦問題を国際問題に発展させたことをこう誇った。

 「宮沢首相(当時)が韓国を訪問して公式に謝罪し、国連人権委員会が取り上げるに至る」

 朝日は2014年8月5日の特集記事「慰安婦問題を考える」で、吉田証言を虚偽と認め、記事を取り消した。「強制連行」の最大の根拠が崩れた。

 吉田証言から32年間にわたる大量の朝日「慰安婦」報道が、慰安婦の虚構の拡散にどう影響し、日本の名誉と尊厳をいかに傷つけたのか――。朝日は報道の結果責任について検証することなく、沈黙を続けている。

「強制連行された慰安婦」という虚構の発端となった吉田清治氏(故人)の証言は、妙に生々しい。

 1982年9月2日朝日新聞朝刊(大阪本社版)は、韓国・済州島チェジュドで、200人の若い朝鮮人女性を強制連行したとする吉田氏の証言をこう報じた。

 「完全武装の日本兵十人が同行した。集落を見つけると、まず兵士が包囲する。続いて吉田さんの部下九人が一斉に突入する。若い女性の手をねじあげ路地にひきずり出す。こうして女性たちはつぎつぎにホロのついたトラックに押し込められた」

 記事には、吉田氏が3年間で強制連行した朝鮮人慰安婦は950人に上るとも書かれている。

 朝日報道で「お墨付き」を得たかのように、吉田氏は83年7月、同様の証言を収めた著書「私の戦争犯罪 朝鮮人強制連行」(三一書房)を出版する。著書は後に韓国語に翻訳され、吉田氏は92年に訪韓して元慰安婦に謝罪もした。次第に「強制連行」という言葉が広まっていった。

 朝日による吉田氏の後押しは続く。

 92年1月23日夕刊1面のコラム「窓 論説委員室から」では、証言に踏み切った吉田氏を「腹がすわっている」と評価した。

 朝日の読者からは、吉田証言への疑問が寄せられていたようだ。だが、92年3月3日の同コラムは、「知りたくない、信じたくないことがある。だが、その思いと格闘しないことには、歴史は残せない」と諭すように記している。


■強制性にすり替え

 韓国内では早くから吉田証言を疑問視する声があった。

 現代史家の秦郁彦氏が済州島での現地調査に乗り出し、「吉田証言が虚構らしいことを確認した」とする論文を月刊誌「正論」92年6月号で発表。調査結果は、産経新聞4月30日朝刊社会面でも報じられた。戦中を知る人が多数存命していたはずの済州島で、強制連行を証言する人はいなかった。

 秦氏は、89年8月、地元・済州新聞の記者が吉田氏の著書の書評で、強制連行について「裏づけ証言する人はほとんどいない」と報じていたことも確認している。

 だが、朝日は虚偽証言ではないかとの指摘に十分応えず、問題を放置した。97年3月31日朝刊の慰安婦特集では、吉田証言について、「真偽は確認できない」と記すにとどめた。さらに、「『強制』を『強制連行』に限定する理由はない」として、新たに「強制性」という概念を持ち出した。

 慰安婦問題に詳しい拓殖大の藤岡信勝客員教授はこう批判する。

 「朝日はさんざん『強制連行』と書いていたのに、『強制性』が問題だと言い出した。完全にすり替えだ」


■吉田氏とは

 実は「清治」の名は吉田氏の本名ではない。

 吉田氏の60歳代の長男によると、吉田氏が77年の著書「朝鮮人慰安婦と日本人」(新人物往来社)を執筆した際、出版社とのやりとりの中で、本名の「雄兎ゆうと」ではなくペンネームの「清治」を使うことになったのだという。当初、実名だった本の登場人物も全て仮名になり、「時代も場所も全て変えた」と話したという。長男は、吉田氏が著書を出版した時に「これで家計が楽になる」と語ったのを記憶している。

 秦氏は吉田氏の著書が出た後に出版社に電話すると、担当者に「あれは小説ですよ」と言われた。96年に吉田氏に電話で証言の真偽を尋ねると、「済州島の慰安婦狩りはフィクションを交えてある」などと答えたという。秦氏は、吉田氏を「職業的詐話師」と呼んだ。

 吉田氏の戦前・戦中の経歴はほとんどわかっていない。長男によると、戦後に肥料会社を経営していた期間もあったようだ。吉田氏は2000年7月30日、証言の真相について多くを語ることなく、千葉県内で86歳で死去した。


■本紙、虚偽繰り返し指摘

 読売新聞は1992年8月15日夕刊社会面で、「慰安婦問題がテーマ 『戦争犠牲者』考える集会」との見出しの記事を掲載し、吉田清治氏が朝鮮人女性を連行したと証言する様子を紹介した。

 これ以降は吉田氏の発言を取り上げておらず、「吉田証言」を根拠に、強制連行があったかのような記事も掲載していない。

 しかも、読売はその後、「吉田証言」が虚偽の疑いがあることを繰り返し報道し、社説でも指摘してきた。

 98年8月11日の社説では、名指しは避けたものの、「吉田証言」を「詐話師とさえ評されるある日本人が創作した“慰安婦狩り物語”」だと指摘。2007年3月27日朝刊「基礎からわかる『慰安婦問題』」では、吉田氏の著書「私の戦争犯罪 朝鮮人強制連行」について、「90年代半ばには研究者によって信憑しんぴょう性が否定」されたと明記した。13年5月15日朝刊政治面の解説記事「Q&A」でも、同様の指摘をしている。

朝日報道の一覧表


[検証 朝日「慰安婦」報道](2)記事と証言に食い違い    2014年08月29日 09時00分

1991年8月11日、朝日新聞朝刊社会面(大阪本社版)にスクープ記事が掲載された。

 「思い出すと今も涙」という見出しで、元慰安婦の金学順キムハクスンさんがソウル市内で生存していたことを確認したとして、その証言の内容を伝えたのだ。ほぼ同じ記事は、翌12日朝刊の東京本社版にも掲載された。地元・韓国メディアに先駆けた特ダネだった。

 強制連行の虚偽証言をした「加害者側」の吉田清治氏を大きく取り上げたのは朝日だったが、「被害者側」の元慰安婦の肉声を初めて世に知らしめたのも朝日だった。元慰安婦が現れたことで、朝日が一連の報道で作り上げてきた「強制連行された慰安婦」という虚構は、現実味を帯びる。


■数々の疑念

 記事はこんな書き出しで始まる。

 〈【ソウル10日=植村隆】日中戦争や第二次大戦の際、「女子挺(てい)身隊」の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた「朝鮮人従軍慰安婦」のうち、一人がソウル市内に生存していることがわかり(以下略)〉

 「日本軍に強制連行され、慰安婦にさせられた女性」という印象を前面に出している。

 だが、この記事にはつじつまが合わない部分がある。

 記事中、金さんが「十七歳(実際は16歳)の時、だまされて慰安婦にされた」と語ったと説明している。つまり、書き出しにあるように「『女子挺身隊』として連行」されたわけではないことを本人が証言しているのだ。そもそも工場などでの勤労動員を意味する挺身隊と、慰安婦はまったくの別物だ。

 この記事は、元慰安婦の支援団体「韓国挺身隊問題対策協議会」(挺対協)が聞き取った金さんの証言の録音テープを、植村記者が聞いて書いたものだ。

 金さんは記事中、68歳女性と匿名の扱いだが、報道から3日後の14日、実名を公表してソウルで記者会見した。韓国メディアを通じて涙ながらに訴える姿は韓国国内に衝撃を与え、一気に反日感情は高まった。


■触れなかった過去

 植村氏は91年12月25日の朝刊5面(大阪本社版)で再び、金さんの苦難の人生を取り上げる。

 だが、植村氏は一連の報道で、金さんが母親に40円で「妓生キーセンを養成する家」へと養女に出された事実には触れていない。妓生は宴会などで芸事をする女性のことで、妓生から慰安婦になった人もいたとされる。

 さらに、金さんは、養父から「中国に行けば稼げる」と言われて北京に連れて行かれたと証言している。植村氏の一連の記事では、金さんをだました人について、「地区の仕事をしている人」などと表現し、養父であることがわからなくなっている。

 金さんらは同年12月、日本政府に補償の支払いを求める訴訟を東京地裁に起こした。金さんらの弁護団を率いた高木健一弁護士は8月、読売新聞の取材に対し、「金さんも我々も、強制連行されたとも、挺身隊だとも言っていない。彼女は妓生学校(養成所)に行ってから売られた」と述べた。

 「日本軍に強制連行された慰安婦」と「親から身売りされた不幸な慰安婦」では、意味合いが全く異なる。にもかかわらず、朝日は今年8月5日の特集記事「慰安婦問題を考える」の中で、「キーセンだから慰安婦にされても仕方ないというわけではないと考えた」という植村氏の説明を紹介した。


■記者は原告団の親族

 まだ、見過ごせない事実がある。

 朝日特集記事は、植村氏が、金さんらの訴訟の原告団を組織した「韓国・太平洋戦争犠牲者遺族会」の幹部である梁順任氏の娘と結婚していたことを明らかにしている。植村氏は、訴訟の関係者の親族だったことになる。

 東京基督教大の西岡力教授(韓国・北朝鮮地域研究)は「植村氏は、結果として身内の裁判を有利にしようとしたとみられても仕方がないのではないか」と指摘する。

 朝日は、当時は大阪社会部記者だった植村氏が、ソウル支局長からの連絡で韓国に向かったと説明している。だが、ソウル支局には他の朝日記者がいるにもかかわらず、なぜ植村氏がソウルまで取材に行ったのかなど疑問点は多い。

 朝日は特集記事で「義母との縁戚関係を利用して特別な情報を得たことはありません」と、疑念について否定した。また、「植村氏の記事には、意図的な事実のねじ曲げなどはありません」と結論づけた。

金学順さんの証言と朝日新聞1991年当時の報道の違い


[検証 朝日「慰安婦」報道](3)「軍関与」首相の訪韓を意識    2014年08月30日 10時56分

 朝日新聞は、1992年1月11日朝刊1面トップで再び「スクープ」を放つ。

 最も大きな横見出しは「慰安所 軍関与示す資料」だ。加えて、「防衛庁図書館に旧日本軍の通達・日誌」「部隊に設置指示」「募集含め統制・監督」「『民間任せ』政府見解揺らぐ」「参謀長名で、次官印も」と、合計6本もの見出しがつけられていた。

 通常はスクープでも、記事を目立たせる狙いがある見出しは3、4本程度だ。

 破格の扱いの記事は日本政府に大きな衝撃を与えた。最大の理由は、当時の宮沢喜一首相の訪韓を5日後に控えた「タイミングの良さ」にある。

 朝日は今年8月5日の特集記事「慰安婦問題を考える」で、「宮沢首相の訪韓時期を狙ったわけではありません」と説明した。だが、92年の記事は「宮沢首相の十六日からの訪韓でも深刻な課題を背負わされたことになる」と書いている。宮沢訪韓を意識していたことは確実だ。


■「周知の事実」

 記事は、防衛庁(当時)の防衛研究所図書館で、戦時中の慰安所設置や慰安婦募集に日本軍が関与していたことを示す資料が見つかったという内容だった。

 現代史家の秦郁彦氏は著書「慰安婦と戦場の性」(新潮社)で、朝日が報道した資料について、「(報道の)30年前から公開」されており、「軍が関与していたことも研究者の間では周知の事実」だったと指摘した。

 朝日自身、翌12日の社説で、「この種の施設が日本軍の施策の下に設置されていたことはいわば周知のことであり、今回の資料もその意味では驚くに値しない」と認めている。

 だが、「周知の事実」を改めて大きく報道したことで、韓国の反日感情に火が付いた。宮沢訪韓は、韓国のデモ隊がソウルの日本大使館に卵を投げつけるという険しい雰囲気の中で挙行された。韓国紙は、朝日報道を受け、「ついにしっぽをつかまれた日本の野蛮」(12日のハンギョレ新聞)などと反日感情をむき出しにした。

 訪韓2日目の17日の首脳会談。慰安婦問題の真相究明と「しかるべき措置」を求める韓国の盧泰愚ノテウ大統領に、宮沢首相は「衷心よりおわびと反省を申し上げる」と謝罪した。韓国政府当局者は韓国メディアに対し、「宮沢首相は8種類の表現で謝った」と会談での謝罪の回数まで説明した。

 首相秘書官として訪韓に同行した竹内行夫元外務次官(後に最高裁判事)は、「大統領が慰安婦問題にこだわり、責め立てる口調だったのは予想を超えていた。秘書官として首相に事態を見通せなかったことを謝った」と振り返った。


■「反日感情に火」

 資料は、慰安所を運営する業者の取り締まりなどへの軍の関与を示す内容だったが、朝日の記事は韓国などで「日本軍による強制連行の証拠資料が見つかった」と受け止められた。

 朝日は同じ1面に「強制連行」という言葉を盛り込んだ「従軍慰安婦」の用語解説記事を添えており、記事全体で「強制連行に軍が関与した」という印象を与えることにつながったとみられる。

 慰安婦問題で著しく悪化した日韓関係に政治決着をつけるため、日本政府は93年8月4日、元慰安婦へのおわびと反省の意を表明する「河野洋平官房長官談話」(河野談話)を発表する。しかし、河野氏が発表の記者会見で、強制連行があったかのような発言をしたこともあり、「日本政府が公式に強制連行を認めた」との誤解が広がり、問題はさらに複雑化していった。

 盧大統領は文芸春秋(93年3月号)のインタビュー記事で、慰安婦問題をこう振り返っている。

 「日本の言論機関の方がこの問題を提起し、我が国の国民の反日感情を焚たきつけ、国民を憤激させてしまいました」


■「20万人」説を補強

 92年1月11日の朝日記事は、慰安婦と挺身隊を混同し、「主として朝鮮人女性を挺身(ていしん)隊の名で強制連行した。その人数は八万とも二十万ともいわれる」としたことも問題視された。

 韓国紙・朝鮮日報は翌12日に朝日報道を記事で取り上げた。13日の社説では慰安婦の人数について、朝日と同じ「8万~20万」との数字を紹介し、「その80%が韓国女性」だと指摘した。日本政府を提訴した元慰安婦らの原告団が、訴状で慰安婦の人数を「10万から20万人」としたことなどはあったが、朝日報道による信ぴょう性の補強で、慰安婦「20万人」説が拡散していった面は否めない。

 秦氏は、日本兵の数などから計算し、慰安婦は計2万人前後で、このうち朝鮮人は2割だと推定している。

 読売新聞は90年代初め、記事中で慰安婦について「20万人以上いたとも言われている」などと記したこともある。


朝日「軍関与」報道後の主な日本政府の対応

[検証 朝日「慰安婦」報道](4)韓国メディアと「共鳴」     2014年08月31日 04時00分

 朝日新聞の一連の報道で作り上げられた「日本軍に組織的に強制連行された慰安婦」という虚構は、1990年代後半以降には韓国だけでなく、国連、米国などにも拡散していった。国際問題化する過程では、朝日報道を韓国メディアが引用して取り上げることで、韓国世論で日本への批判が高まり、今度は朝日がそれを再び報じるということが繰り返された。朝日と韓国のメディア、世論による一種の「共鳴」とも言える状況がみられた。

 朝日は92年1月11日朝刊1面トップで「慰安所 軍関与示す資料」と報じると、続く同日夕刊で「十一日朝から、韓国内のテレビやラジオなどでも朝日新聞を引用した形で詳しく報道された」と誇った。

 韓国紙・朝鮮日報は翌12日朝刊で、朝日報道を引用して紹介。13日の社説で、日本政府に対して「謝罪とともに(元慰安婦の)生存者などに応分の補償をすること」を求めた。

 92年1月16日に訪韓した宮沢喜一首相が慰安婦問題で正式に謝罪すると、韓国で朝日報道が称賛された。

 「朝日新聞が11日、これ(軍の関与)を大々的に報道したためだった。そうでなかったならば、日本政府は今も『民間業者が連れて行った』と言い逃れをしていたかもしれない」(16日、東亜日報)


■国連に飛び火

 96年4月、慰安婦問題は国連に飛び火した。

 国連人権委員会(国連人権理事会の前身)が、日本政府に元慰安婦への補償の支払いなどを勧告する報告書(クマラスワミ報告)を採択したのだ。報告書は、慰安婦を「軍用性奴隷」と定義した。

 採択に先立ち、朝日は96年2月6日夕刊1面で、「元慰安婦に補償を」の見出しで報告書の内容を報じた。同じ夕刊の社会面では「戦争被害者個人への国家補償を避けてきた日本政府に対し、国連の人権専門官が明確に『NO』のサインを出した」と書いた。「『個人補償』議論の復活促すか」という解説記事も載せ、「日本政府は元慰安婦に補償するべきだ」という論調を前面に出した。

 韓国のメディアは、92年の朝日「軍の関与」報道以降、日本政府に補償を求める傾向が鮮明になっていた。朝日報道の論調は韓国メディアと足並みがそろっていたといえる。

 国連人権小委員会は98年8月、慰安婦問題について〈1〉実行犯の訴追〈2〉元慰安婦への補償――などを日本政府に勧告する別の報告書(マクドガル報告)も採択している。

 両報告が採択された当時の同委員会委員の一人は、「韓国の元慰安婦の支援団体や日本の民間活動団体(NGO)が報告書の採択を求めて国連で活発にロビー活動を繰り広げていた」と証言する。

 92年頃から、NGO代表として、慰安婦問題を取り上げるよう国連に働きかけた中心人物が、戸塚悦朗元弁護士だ。

 国連で慰安婦を「性奴隷」と最初に表現したことで知られる戸塚氏は「日本での訴訟では補償問題は解決できないだろうと思っていた。(朝日報道で)軍の関与が明らかになり、そろそろ国連に報告する時期だなと思った」と語る。

 元慰安婦らを原告とした訴訟は日本の裁判所で続いていたが、勝訴の見込みが薄いことから、国連という「外圧」を利用したとみられる。


■消えない虚偽証言

 96年のクマラスワミ報告は、韓国で朝鮮人女性を強制連行したとした吉田清治氏(故人)の証言を根拠としていた。吉田証言は92年頃には虚偽と指摘されていたにもかかわらず、「史実」かのように扱った同報告については、信頼性が疑問視されている。

 朝日は吉田証言を、82年9月2日朝刊社会面(大阪本社版)以降、少なくとも16回にわたり繰り返し報道した。今年8月5日の特集記事「慰安婦問題を考える」で、吉田証言を初報から32年後になってようやく虚偽と認め、取り消した。

 だが、虚偽証言が消えたわけではない。元慰安婦の訴訟の原告団を組織した韓国の「太平洋戦争犠牲者遺族会」の梁順任ヤンスニム会長は8月、読売新聞の取材で、吉田証言について「内容は極めて詳細で、経験しなければ(証言は)不可能。内容全体がすべて虚偽などとは誰も言えない」と主張した。梁氏は、91年に元慰安婦の金学順キムハクスンさんの証言をスクープした朝日の植村隆記者(当時)の義母だ。

 2007年7月30日、日本の同盟国・米国で下院が慰安婦問題について、日本政府に公式謝罪を求める決議を採択した。米国では、慰安婦の像などを設置する動きも続いている。

 事実に基づかない日本批判はとどまるところを知らない。(おわり)

世界に広がりつつある虚構
 

「いのちの日記」備忘録

 投稿者:リベル  投稿日:2014年 7月13日(日)01時34分37秒
返信・引用
  科学と宗教は、ものごとの両極端にあるようにいわれるが、私はそうではないと思っている。けっして別のものではない。宗教も科学とおなじように、人間の脳の中の営みである。いずれ科学がすべてをあきらかにするであろう。  

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