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The Lombard laws(備忘録)

 投稿者:リベル  投稿日:2009年11月17日(火)08時21分17秒
返信・引用  編集済
  荒井英子著「ハンセン病とキリスト教」(p.159)(「西洋に於ける癩の歴史」からの孫引き)にこうあります。ロンバルド人の王「ロタリの法令」(六三四年)に・・・

「許嫁の婦人が癩をやむ時は婚約は解消しうるものとし、癩者から市民権を剥奪」するという規定がある、と。

その原典が「Googleブックス」に有りました。

The Lombard laws  Katherine Fischer Drew訳 です。(「Rothari's Edict」をクリックしてください)

Chapter 176 [Concerning lepers.]

On lepers. If anyone is afflicted with leprosy and the truth of the matter is recognized by the judge or by the people and the leper expelled from the district (civitas=市民・都市) or from his house so that he lives alone, he shall not have the right to alienate his property or give it to anyone. Because on the day that he is expelled from his home, it is as if he had died. Nevertheless, while he lives he should be nourished on the income from that which remains.

Chapter 180[Concerning the girl who become a leper after her betrothal(婚約).]

Concerning the girl who become a leper after her betrothal. If it happens that after a girl or woman has been betrothed she becomes leprous or blind in both eyes, then her betrothed husband shall receive back his property and he shall not be required to take her to wife against his will. And he shall not be guilty in this・・・

Chapter 230[Concerning bondsmen(奴隷) who are lepers.]

On bondsmen who are lepers. If anyone buys a bondsman and afterwards he turns out to be a leper or mad, then the seller, if he is accuseed, shall offer oath alone that he did not know of this infirmity when he sold the bondsman. [And if he can so swear], he shall not be further liable.

荒井氏の執筆当時(1996年)には「Googleブックス」は勿論インターネットも有りませんでした。思えば今は本当に便利になったものです・・・(感慨無量!)
 

The third council of orleans(備忘録)

 投稿者:リベル  投稿日:2009年11月17日(火)01時56分31秒
返信・引用  編集済
  「Medieval leprosy reconsider」にこんな文章があります。

Outside of Rome, few references to leprosy survive from the Western provinces until 539 when the bishops of Gaul met in a synod at Orleans. Here the bishops approved a number of canons to regulate Christian life in the new political world of German dominance. One of these canons stated that Christian piety required that the bishop of each city provide lepers with food and clothing from the resources of the local church. At a later synod held in Lyons in 583, the bishops reaffirmed that they themselves should assist lepers but added that leprosy victims should receive aid only in the cities where they had permanent residence and should not wander from place to place. The synod of Lyons thus enacted the first restrictive regulation against lepers found in our research of primary sources.

私は「ハンセン病の歴史の年表」の「511年〜583年」のところに「オルレアンなどの宗教会議で癩患者に関する規定を設けた」と書いています。そして「注」に(「ハンセン病とキリスト教」(p.160)による「西洋に於ける癩の歴史」からの孫引き)と断って「511年、549年のオルレアン(フランス北部)、583年のリヨン(フランス南東部)で開かれた宗教会議で「癩患者の扶養の義務は該当教区の司教に於いて負担すべきこと」、「教区内の信者も相当の寄進をすべきこと」を定めました」と記しました。

上の文章はどうもそこのところと同じことを言っている・・・そう思って調べたところ「a synod at Orleans=オルレアンの宗教会議」と分かっても、文献が出てこない。結局「3d Synod of Orleans, 538.」というのが見付かりましたが、これが誠に興味深いのです。検索結果を読んでみると殆どがユダヤ人に対する外出禁止などの規制の話で、なんと538年に宗教会議で決められたこの規制が、ナチによってそのまま改竄・利用されていたのです。「The Roots of Anti-Semitism(反ユダヤ主義のルーツ)」のようなサイトが沢山有って驚きます。ナチの悪賢さが垣間見えて腹が立ってきますが・・・。ここまでやっていたのですね、ったく・・・。

で、結局そうこうしている内に、標題の英訳を見付けました。これなら一応、一応ですが「Wikipedia」にも記されています。ただ荒井英子氏の解釈では539年(正しくは538年です)のオルレアンも583年のリヨンも同様に「癩者」を規制する決議としていますが、これは実は間違っているようです。簡単に言えば、オルレアンの時点では「食べ物や衣服を教会の負担で供給する」という「供与」の規定だったのが、リヨンでは「町に永住していてあちこち移動しないこと」という「規制」の規定になっていることです。この筆者はそういうキリスト教の姿勢の変化を訴えたかったのでしょう。「the first restrictive regulation against lepers」と決めつけています。


これは大切なことで、見逃してはいけませんですよ、荒井さん・・・^^
 

コンスタンティヌス大帝から聖バジル(備忘録)

 投稿者:リベル  投稿日:2009年11月15日(日)01時43分29秒
返信・引用  編集済
  「The Hospitaller OrderOf Saint Lazarus」C.Savona-Ventura著
http://www.stlazarusmalta.org/pdf_files/booklet.pdf p.7〜8)

While leprosy had been introduced into Europe by at least the first century BC, increasing contact with the scourge of leprosy by European pilgrims occurred after the fourth century AD when the conversion(キリスト教の公認) of the Byzantine Emperor Constantine the Great [emperor AD 306-337] and his mother’s St. Helena influence generated an interest in the Holy Land, and transformed Jerusalem into a magnet of Christian pilgrimage.

The Church continued to look uponlepers as bodily and morally unclean individuals regulating intheir regard in the Council of Ancyra(アンキュラ宗教会議) in AD 314; however in the late fourth century the Bishop of Caesarean St. Basil the Great established a leprosarium in the maritime city of Ptolemais [now Acre] to care for these unfortunates. These services were gradually expanded by further establishments set up in Jerusalem, Bethlehem and Nazareth.

ブラウン著「聖書の中の『らい』」(p.46)に「372年、カイザリアに聖バジルがらい病院を建てた」と記されており、その前のくだりには「らい患者のために建てられた病院の最も古い記録は、四世紀初めコンスタンティヌスの支配するローマに建ったものです」と書いてあるのです。これを裏付ける決定打となる資料を探しているのですが、見当たらないのですね、これが・・・(^^;)
 

続・Dialogue on the life of St. John Chrysostom(備忘録)

 投稿者:リベル  投稿日:2009年11月13日(金)03時42分33秒
返信・引用
  A History of Medicine: Byzantine and Islamic medicine 著者: Plinio Prioreschi、2001年

The institution, established with a gift from the emperor Valens comprising the income from several villages, was run by the monastic community. In addition, with the support of wealthy citizens, he(Saint Basil) may have established a leprosarium as well, where not only lepers but also others sufferng from various infirmities could find shelter and support.
Toward the end of the same century,John Chrysostom, bishop of Constantinople(398-404), opened, in the capital, institutions similar to that of Saint Basil, that is , hospitals.  ...The hospitals founded by Saint Basil was supported, as we have mentioned, by a gift from the emperor, wheras the ones established by Saint John Chrysostom may have the bishop's expense account.

こう書いてあります。やはり「Saint Basil」が「leprosarium」建設の先駆者で、Saint John Chrysostom が数十年後に追いかけて沢山建設したと、解釈しても良いのではないでしょうか。試みに「st.basil leprosarium」で検索してみてください。かなりの論文がこれをバックアップしてくれます・・・^^
 

Dialogue on the life of St. John Chrysostom(備忘録)

 投稿者:リベル  投稿日:2009年11月12日(木)03時14分50秒
返信・引用  編集済
  最初のラザレットはヨハネス・クリュソストモス(347〜407年)によってコンスタンチノープルの住宅地に建てられました。

証拠(一)Dialogue on the life of St. John Chrysostom 著者: Palladius (Bishop of Aspuna),Robert T. Meyer編集

There has recently come to light, however, some new evidence which would seem to challenge the reliability of Palladius. A newly discovered manuscript, which unfortunately lacks both the biginning and end, proves to be a life of St. John Chrysostom. This anonymous vita gives us certain additional information about the charges which were brought against Chrysostom at the Synod of the Oak. One of the charges was that he had built a leprosarium within the confines of
the residential district of Constantinople.Another・・・

証拠(二)「Medieval leprosy reconsider」

どなたかお読みになっていたら、(24)の後の部分です。

なお、荒井英子著「ハンセン病とキリスト教」(p.161)とブラウン著「聖書の中の『らい』」(p.46)に372年に聖バジルがカイザリアに癩者のための病院を建てたと記されていますが、両著とも、ラザレットは別の項で取り上げて居るので聖バジルの「病院」は「ラザレット」ではなかったのでしょう、どういう基準で峻別されたのかはもう少し調べてみますが。

この記事では、バジルの「leprosarium」となっていますが・・・?
 

下に追記を・・・

 投稿者:リベル  投稿日:2009年11月 3日(火)04時07分54秒
返信・引用
  10月29日の投稿に『』でくくって追記をしておきました。この追記がないとあの表を作った目的が分からなくなります・・・プッ・・・^^  

廃屋で落書きを・・・

 投稿者:リベル  投稿日:2009年10月31日(土)01時56分16秒
返信・引用  編集済
  ブラウンの「聖書の中の『らい』」(p.29)にミスが有ります。どこがおかしいか探してみてください、明々白々なミスが見付かります。

「ヨーロッパにおける最初のらいの記録は、原文は失われたので後代の引用によって知られています。アレクサンドリアの医師エラシストラトス(Erasistoratos,B.C.300〜250)の弟子ストラトン(Straton)の記録を、エペソのルフス(Ruphus,98ー117)が引用しています。」

実は下にも書いたように中世ヨーロッパの歴史を纏めようと、取り敢えず賦活剤として長年目を通さずにいた「Medieval leprosy reconsider」を読んでみました。標題通り中世のらいを再考していて、多くの学者が誤謬を犯しているのではないかというかなり挑戦的な小論文で、そう言う意味では啓発的であり面白くもあるのですが、この中の一文が気になりました。

「Sheldon Watts、Guenter Risse、Saul Brody各氏はギリシャの医師アレタイオスがleprosyを正確に記述した最初の人であるとしている(参考)」

この表のヨーロッパのところをご覧ください。B.C.3世紀に「ストラトンが「象皮病」として最初の正確な記述」、150年頃に「アレタイオスが(ヨーロッパで最初の)正確な記述」と記入しています。そしてそれぞれの「注」に両論併記と断っています。

これを思い出してブラウンの「聖書の中の『らい』」をもう一度よく読んでみたのです。そして当時はよく調べなかった「エラシストラトス、ストラトン、ルフス」を丹念に調べてみました。先ず変なのはお気付きの通りルフスの生年・没年です。98年から117年では19歳で死ななければなりません。そこであれこれ検索を重ねて辿り着いたのが「Rufus of Ephesus」。なるほど「エペソのルフス」でした。

ここの「Life」のところになんと有りました。「he lived in the time of Trajan(第13代ローマ皇帝・トラヤヌス) (98-117), which is probably correct」。98-117というのはトラヤヌスの在位期間だったのです。ブラウン氏、それを何か早とちりなさったのでしょうか、お陰で私は3時間ほど回り道を喰わされたというわけでした・・・(^^;)


ティーグラウンドに立つローマ皇帝トラヤヌス。グリップから先が折れています。ボールはしっかりお持ちですが・・・^^
 

一つ報告を・・・

 投稿者:リベル  投稿日:2009年10月29日(木)02時47分22秒
返信・引用  編集済
  ペンディングのままのテーマが三つ有って、夜も眠れません、は嘘ですが・・・。

兎に角先ず一つ片付けました。「スシュルタ・サンヒター」の中の「kușțha」の訳語の表です。20行が未完でした。「病理篇」に次いで二番目に多用されている部分と、最も少ない部分が残っていました。作業が辛くて・・・^^。

『収穫はしかし有りました。この「kușțha」の表を完成してみてはっきり言えることが見えてきました。1907年にBhishagratnaによって訳された「THE SUSHRUTA SAMHITA」の中のkușțhaの訳語は実に多彩です。正確に言えば乱雑です。大地原氏の「スシュルタ本集」の訳語も乱雑ですが、それにも増して統一性を欠きます。やはり1999年Sharma訳の「Susruta-Samhita with English Translation of Text and Dalhana's Commentary along with Critical Notes」が最も整合性を保っています。kușțhaが「leprosy」と「skin diseases」の二つの意味で用いられていることを承知の上で、極力原文に忠実に訳しています。こちらには梵語の原文が記載されているために、訳し方がハッキリ読み取れて、それだけで一つの論文が出来かねません、私はもう御免被りますが・・・。

一つだけ面白いページをご紹介しておきます。このページです。第1篇「総説篇」・第38章「薬物の分類」・第54節です。これは「スシュルタ・サンヒター」の中で「癩病」と「皮膚病」が原文で併記されている唯一の部分です。下から5行目にピンクのマーカーと緑色のボールペンでアンダーラインを引きました(大地原氏の訳)。

他にも「tvagāmaya」「tvagdoṣa」が単独で出てくるページは4ページだけ有ります(「kușțha」の訳語の表の中の茶色の文字)。いずれも「皮膚病」と梵語辞典には書いてあります。スシュルタさんもキッカリ区別しようとすれば出来たのではないか・・・と又昔の話を蒸し返しそうになるのでこの辺で逃げ出します・・・スタコラサッサ・・・^^』(『』内は2009年11月3日追記)


何とかやっつけました。最後の方はサンスクリット語と英語の中からまるで雲を掴むような作業でこれは参りました。後残る二つのテーマは「ヨーロッパの中世における歴史」と「らい」から「ハンセン病」への移行を成田稔氏が纏めておられるのを年表にする作業です。「人類進化年表」の合間を縫って、死ぬまでには完成してやるぞおっ・・・と喚いてもこれを読んでくださっている方は一日に10人ほどになりました。まだアクセス解析を付けたままだったので、開けてビックリ未だ来てくださっている方が有って、なのでこれを書く気になりました・・・(^^;)


残念ながら未だこんなには・・・
 

秋の空

 投稿者:リベル  投稿日:2009年10月17日(土)23時39分21秒
返信・引用  編集済
  たまには写真を飾りましょうか・・・^^

 

お疲れ様でした

 投稿者:小箱  投稿日:2009年10月13日(火)03時22分19秒
返信・引用
  長い間 有り難う御座いました。
日本でハンセン病らしきもの記載があってから1400年
1400年の歴史が終焉に向かっています。その終焉を見守った掲示板だったと思います。
お疲れ様でした。
 
    (リベル) 小箱さんこんばんは。長い間お世話になりました・・・m(_ _)m

>1400年の歴史が終焉に向かっています。その終焉を見守った掲示板だったと思います。

或る意味では「終焉」とも言えるでしょうけど、各療養所の将来構想に関しては不安材料が山積していますし、偏見や差別心の根絶は前途遼遠です。私は入所者の方々の平均年齢80.2歳(5月1日現在)より6歳若いのですが、ダメなことに気力・体力面で責任を伴う作業が不安になりフェードアウトすることを決意しました。「終焉を見守」ることかなわず、内心忸怩たる思いに責められています。

小箱さん本当にいろいろお世話になりました、感謝に堪えません。どうかお元気でお過ごしください・・・m(_ _)m(10.14 02:08)
 

お名残り惜しい

 投稿者:Ichiro  投稿日:2009年10月 9日(金)08時46分48秒
返信・引用
  本日で終了ですか。お名残り惜しいです。

 私に掲示板を作って頂いて感謝しています。大変勉強になりました。

 Ichiro拝
 
    (リベル) Ichiroさんこんにちは。

ほんとうにお名残惜しいですね。そうそう、IchiroさんにもBlogを作って差し上げましょうか?いや、もうご自分で作る実力がお有りですね・・・(^^;)(10.9 11:51)
 

まだ間に合うかしら?

 投稿者:あずき  投稿日:2009年10月 9日(金)01時17分58秒
返信・引用
  蛤のふたみに別れ行く秋ぞ  
    (リベル) あずきさんこんばんは。

  心から雪うつくしや西の雲

初めて出会いましたが爽やかな俳句ですね。チョットまだ早いですか・・・(^^;)(10.9 07:31)
 

塚も動け我泣声は秋の風

 投稿者:リベル  投稿日:2009年10月 8日(木)02時35分24秒
返信・引用  編集済
  世界的な免疫学者である多田富雄氏の「寡黙なる巨人」4月にご紹介しました。多田氏の著書からその苦闘の日々をわがことのように苦痛を伴いながら読んだものですが、それがあのMを襲っていた、10年も前のことだった、「もうズイブ前に死んだはずだよ」という冷酷な声も耳にしました。

私はMと年賀状の交換をしていなかったのです、私が嫌われていたから。一昨夜のことはまさに寝耳に水だったのです。彼はほとんど聞き取れない話し方で一生懸命話してくれました。その声と語り口は恐らく一生記憶から消えないと思います。彼の心境は恐らく明鏡止水、些かも苦痛を感じては居ないと・・・本当にそうなのだろうか、とも思います。寮の運動場で遠投を競い合った思い出が、胸を締め付けるように襲ってきて、無常だなあとつくづく感じます。

外は台風の真っ只中、風が何も知らずに吹き荒れています、何も知らずに。


それはそうと、この掲示板を閉鎖することにしました。長い間お付き合い頂いたこと、本当に感謝致します、有り難う御座いました・・・m(_ _)m


(付記:宣伝広告類で汚されないよう、「管理者の承認後掲載」という形にしてみました。様子を見て「パスワード方式」にするかもしれません。備忘録としての必要性も無くなった時点で消去します。)
 

痛恨の極み

 投稿者:リベル  投稿日:2009年10月 7日(水)01時38分16秒
返信・引用  編集済
  昨日の夕方から昔の友に電話を掛けまくりました、年に一度やることです。しかし昨日は違いました。何の拍子か寮の後輩に初めて電話したのです。皆んな元気でした、が、一人例外があったのです。

Mと言う男です。私は生涯に三人「こいつにはかなわない」という男が居ます。その内の二人は若くして亡くなりました、私は人に惚れ込むまいと思ったほどです、惚れ込むと死んでしまうから。最後の一人のMに夕べ電話しました。最後に会ったのは20年程前だったと思います、分かれるとき私に「Oさんは悪(わる)で出世すると思っていたのに…」と言いました、それ程私のことを知っていた男でした。

奥さんがお出になりました。「かくかくしかじかのOです」と言ったところ「主人は今チョット身体を悪くして人様とお話しできる状態ではないので…」と仰有るのでそれでは短いメッセージをお伝えくださいとメッセージを話し始めました。少しして突然彼が割り込んで話し始めました、最初から聞いていたのです、で私の話の中味を聞いて受話器を取ったというか切り替えたのでしょう。

脳梗塞で亡くなったと私の同期のものは聞いていたと、その後分かりましたが、話せるまでになっていました。話すだけで涙が出るほど嬉しいのに・・・彼は懸命に喋ってくれました、そういう男なのです。

私は死ぬまでに彼に確かめたいことが二つ有ったのです。一つは合宿所での話です。

合宿所には風呂がありません、近所の銭湯へ団体で通っていました。そこに勤めている女性がチョット若者には魅力がありました。私は特に魅力を感じて居らず実は理由がないのですが、彼女のお尻を触りました。「理由がないのですが」というのも変な言い方ですが、人間には時に、したくないことをしなければならないことも有ります。私には「劣情」のカケラもありませんでした。どうにも説明が付かないのですが、信じて頂けなくとも真実は今で言う「アイドル」視を止めさせたい、というような気持ちでした。私は女性のお尻を触っても全く快感を得ませんから。

でも全ての痴漢は私と同じ罪を着せられるでしょう、彼にも耐えられなかったのです。2時間ほどの隅田川での練習が終わって皆んなが艇庫へ入って行く時二人が最後になりました。いや二人が意識してそうしたのです。私が彼の背中に「オイ、M」と呼び掛けました。漕いでいる時彼は私の真後ろにいて、わざとオールを私の背中にぶつける仕草を繰り返したからです。彼は振り向きざま「オールを置け」と先輩の私に言いました。もしオールを置いていたらどちらかが死んでいたかもしれないと今でも思います。少なくとも某大学の運動部での不祥事とか何とかに発展していたでしょう。私はただ意気地がないためオールを置かなかったのですが。

あの時、俺は触りたくて触ったのではない、それを彼に告げたかったのですが彼は全く覚えていないと一生懸命、回らぬ舌で私に言いました。

もう一つ彼に聞きたかったことは、何故その頃非難を浴びていた「日本窒素」へ入ったのかという疑念です。正義の固まりのような彼は間違いなく自分を顧みず入社したはずです。それも尋ねました。

これも彼は否定しました。あまりどこにでもある理由を振りかざすので、「今私は嘘をついているんだよ」というメッセージかと思ったほどでしたが、とにかく彼は否定しました。

Mという男は「純」の固まりだと当時は思っていました。しかし私も今は「純」でなくなっているのですね。彼がタドタドしく答えた二つは、やはり「嘘」だと思います。私はあの男に全幅の信頼を置いています、だからこそこの二つの答えは「嘘」だと言い切れるのです。


いまこれを書いていて、私が彼を如何に愛しているか、それが良く分かりました、良く分かりました・・・。
 

今朝の天声人語

 投稿者:あずき  投稿日:2009年10月 5日(月)14時42分55秒
返信・引用
  http://www.asahi.com/paper/column.html

リベルさんはすでにご存知かもしれませんね。
今のリベルさんにぴったりの話題です。
 
    (リベル) あずきさん、こんにちは。

読みましたとも、読みましたとも。

あ、詩の話がと思って読み始めたら・・・。

で、痛感したのは私はもう自分は入れ込んで居るなあという感懐でした。天人氏の感想が素人っぽく新鮮に感じられました。と言うことは・・・ネ・・・(^^;)(10.5 17:00)
 

リファンピシを最初に使った人はだれでしょう

 投稿者:Ichiro  投稿日:2009年10月 5日(月)09時14分10秒
返信・引用  編集済
  リファンピシンをハンセン病に最初に使った人はだれでしょう。

日本の教科書 ハンセン病医学 1997
              総説現代ハンセン病医学 2007 を調べても書いてありません。

調べましたら
1: Lepr Rev. 1965 Jul;36(3):123-31. Rifamycin SV in the treatment of lepromatous leprosy.Opromolla DV, Lima Lde S, Caprara G.でした。

●結論:日本の教科書画く人しっかりしてください。
●後記:有難うございました。
 
    (リベル) Ichiroさんこんにちは。

この話題は「Ichiroの研究メモ」ならともかく、このBBSには専門的過ぎていけません。

リファンピシンというのは熊本地裁判決にも何度も出てきますが、歴史上は1971年に多剤併用療法の中心的薬剤として脚光を浴びた薬です。

なお、Opromolla氏についての詳細はこちらでどうぞ・・・。(10.5 17:17)
 

右顧左眄

 投稿者:リベル  投稿日:2009年10月 3日(土)01時46分58秒
返信・引用  編集済
  今正直言って迷っていることが有ります。あずきさんの新ブログを拝見していて、あまり感じが良いので私も真似たくなりました。そして一つ又作ってしまいました。

笑弁嘆語
―ショウベンタンゴの中には新旧・硬軟、雑多な物が無秩序に入っています。でも農薬に無縁の美味しい野菜を育てていますよ―

コロシアムの風景は夜は星空で、たまに流れ星が見られるというサービス付きです。

そして迷っていると申しますのは、ここを閉鎖しようかなと・・・迷っているのです。ただブログの場合は来て頂いた方が、ご自分からスレッドを立てることが出来ないので「参加性」の面でどちらかといえばやや閉鎖的になります。しばらく迷いながら右顧左眄していようかなと思っています。その内にくたばっちまうさ・・・などとも思いながら・・・(^^;)


夜のコロシアム
 

Re: お邪魔します。

 投稿者:邪魔風  投稿日:2009年10月 2日(金)19時17分26秒
返信・引用
  > No.4534[元記事へ]

あずきさんへのお返事。

>
> 野菜クズ、魚のあらや骨、貝殻など土に埋めていたそうです。エコなお話でした。

要するにそれが「貝塚」じゃないですか。新旧あるにしても。
 
    (リベル) 風が付いて居るぞ、これは北風さん久々のご登場なのではありませんか。ご無沙汰していてご免なさい。

早速大辞林を・・・「古代人が食べた貝の殻などが堆積(たいせき)したもの。ヨーロッパでは中石器時代以後,日本では縄文時代から弥生時代中期までのものが見られる。土器・石器・人骨・獣骨などがまじって発掘される。」

新明解も「古代人が食べ捨てた貝の殻などが、地中にうずまって出来た遺跡。」と来ますからやはり現代人の食べた貝では貝塚は出来ないのではないでしょうか、なんて理詰めの不粋なお答えは致しません。

いまこんなものと睨めっこしています。ヨーロッパの中石器時代と一口に言ってもご覧のように多くの文化があって、頭痛の種なのです。下の欄外に読めますでしょうか小さい字で書いてあります。「考古学上の推定年代にはさまざまな説があって、世界的にこのような年表をつくることは本来危険であるが・・・」。「危険」が男を駆り立てるのですね、因果なことに・・・(^^;)(10.2 23:55)
 

納豆ご飯にお奨めです

 投稿者:リベル  投稿日:2009年10月 2日(金)17時26分59秒
返信・引用  編集済
  私は10代の終わり頃から大学のボート部で合宿生活を重ねました。詳しくは忘れたのですが確か一ヶ月半ほどでレースを迎えました。合宿生活というのは私大以外はかなり切り詰めたもので、例えば朝食は納豆と沢庵と具の殆ど無い味噌汁だけで飯だけは食べ放題という代物でした。レース前一週間からは納豆が卵に変わります、生卵はダメという奴は特別に卵焼きにします。

そういうわけで私の東京での食生活の記憶は合宿飯が圧倒的なのです。今我が家は玄米ご飯です、もう1年以上でしょうかそれが健康に良いとかで全く無抵抗にそれに移行しました。大体食べ盛りを食糧難の時代に過ごしましたから、飯であれば何でも良いというのが魂に染み込んでいますから。

夕食(私は朝食、昼飯を食べないので唯一の食事なのです)で晩酌の後は「松茸ご飯」以外は(嘘。もう何年も食べていません)卵掛け・納豆ご飯です。晩酌のお通しに小田原の親戚からの山葵漬けをつまみます。いつ頃からか残した山葵漬けを納豆ご飯に混ぜるようになりました。

実はこれが美味いのです。最近では出てきた山葵漬けにはハナから手を付けません、もう「納豆ご飯」用にとっておくのです。これが旨い、実に美味い。もう、何とも言えません、絶句とまではどうかな・・・。でも騙されたと思って一度お試しください、ご損はないはずです、私の近親者に漬物屋をやっている物は有りませんからどうぞご心配なく・・・(^^)


ああ、美味しそう・・・^^
 

お邪魔します。

 投稿者:あずき  投稿日:2009年10月 2日(金)17時18分48秒
返信・引用
  すみませぬ。茶茶を入れるつもりではありませんが、こういうお話を聞く度に思い出すお話があります。どの本に書かれていたのかさえ忘れているのですが。

少女が庭で土を掘って遊んでいました。深く掘っていくとたくさんの貝殻があったそうです。それで「お母さん、これは貝塚でしょ。」と大喜びした少女に、お母さんは大変返事に困ったそうです。お母さんは永年、使い古しの油、野菜クズ、魚のあらや骨、貝殻など土に埋めていたそうです。エコなお話でした。

秋のプレゼント♪
 
    (リベル) おやあずきさんいらっしゃいませ。これはどうしたことか・・・思うに殆ど同時投稿だったのでしょう、気付かないでいま受信メールの方で知って飛んでできました。

これは返事にお困りでしょう。本当のことを言うと夢を壊してしまう、かと言って嘘を言うわけにも行かず・・・あずきママならどうなさったでしょう?

このアカトンボの写真は、本当に良いですね。棒に結びつけてあるリボンが妙に気になって、それが味わいを増しているのかも・・・(^^;)(10.2 23:28)
 

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