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河ヶ平 その4

 投稿者:tom_leeメール  投稿日:2017年11月13日(月)10時39分25秒
  荒獅子 様
お忙しい中、写真の掲載まで本当に有難うございます。

残念ながら記念撮影なので橋の状態がイマイチ確認出来ませんが、私の記憶では、当時(昭和33年~昭和35年頃?)の荒川橋はかつての筏津橋の様なつり橋で、欄干は木製ではなくロープか鉄製のワイヤーだった様な気がします。足場というか床(?)も勿論木の板で、所々割れてたり、剥がれてたり、穴が空いてたりで、下も丸見えだし、そこに足を突っ込んではいやだなあ...と思いながら渡ってました。従妹と渡った時に揺らされたのか自然に揺れたのかでとても怖かった覚えがあります。幅は多分1m20cm~1m50cmで大人2人は通れたかと思います。支柱についてはよく覚えていません。

もし以前の荒川橋が現在の位置よりもう少し上流だったとしたら、橋を渡って索道まではもう少し近かったって事になりますね。

実家にもしかしたら当時の写真が残ってるかもなので、お正月に帰省の際に探して確認してみようかと思います。
 

こんにちは

 投稿者:みーにゃんメール  投稿日:2017年11月11日(土)21時57分47秒
  荒獅子さん。おひさしぶりです。
買うとなったら、ちょっと予算がとかかもですが
借りられて、すむことができたら、
耕作ができたら嬉しいなあとおもいますね。
また、情報教えてください。
 

こんにちは。

 投稿者:荒獅子  投稿日:2017年11月11日(土)15時07分0秒
  >tom_leeさん
こんにちは。
荒川橋は、今まで台風で何回も落ちています。かなり高い位置に架かっているようにみえますが、集中豪雨の際は、あの高さまで川の水がかかったことにはおどろかされます。
つい最近まで、橋の一部が崩落して通行不可となっていましたが、現在は通れるようになっています。

荒川橋は、歩道に架かる橋としてはかなりしっかりした橋です。私が子どもの頃は木製の頑丈な欄干がついていた記憶があります。筏津橋は、荒川橋よりももう少し小さい橋だったのではないでしょうか。

昔の写真を探してみると、昭和30年頃に荒川小学校の児童が荒川橋の前で撮った記念写真が見つかりましたので掲載しました。比較するために現在の荒川橋の写真も掲載しましたが、30年当時からコンクリートの立派な支柱があり、今と変わらない頑丈な橋だったようです。
ちなみに、今の荒川橋の写真の左上の集落が河ケ平上集落です。

私が、地元の古老から聞いた話では、昭和初期の荒川橋は小さな人ひとりがやっと通れるくらいの橋で、現在の位置よりもう少し上流に架かっていたそうです。


>みーにゃんさん
こんにちは。
今までに、千町の家や土地(田、畑など)を貸してほしいという話はたくさんありました。
現在、千町の空き家や畑を借りて別荘として活用している方もいます。

千町の自治会長さんと話をする機会も多いのですが、耕作放棄地にしないでつくってくれるのなら、田や畑をつくってほしいという話も聞いています。
私も、千町の人の畑をかりて、花を植えたりしたこともありました。

また逆に千町の人から田畑はもうつくらないので、だれか買い手がいないかという話をされて、実際に仲介をしたこともあります。

千町には、空き家や耕作していない田畑がいっぱいあります。
話しをもっていけば、売りたいとか貸したいという方はきっといると思いますよ。
 

千町の土地家

 投稿者:みーにゃん  投稿日:2017年11月 9日(木)23時13分51秒
  千町の家や土地を売るつもりのお方とか
いらっしゃるんでしょうか
私は稲も作ったことがないし、
畑もろくなものつくったこともないのですが。
 

河ヶ平 その3

 投稿者:tom_leeメール  投稿日:2017年11月 9日(木)17時58分43秒
  荒獅子 様
お忙しい中、早速の地図記入、本当に有難うございます。

荒獅子様の加茂の位置図やストリートビューを見ながら色々と思い出してきました。

そうですね。荒獅子様の仰る様に筏津橋ではなくその荒川橋だったかも知れません。

西条からバスで行くと加茂川も橋も右側でしたし、橋を渡って左に行って、索道(上側)の少し手前(すぐ見える位近所の右側)にもし当時集落(もしくは住居)があったなら私の記憶とビンゴします。(周りに複数の住居があった様には覚えてませんが...)

もし筏津橋だとすると、地図から推測すると進行方向左側になりますよね。

ただ当時の荒川橋は、かつての筏津橋の様なつり橋だったのでしょうか...?
確か台風かなんかで橋が落ちた、という話も聞いた事があるので、写真を見ててっきり「これだ!」と思ってしまいました。
 

おはようございます。

 投稿者:荒獅子  投稿日:2017年11月 9日(木)06時51分45秒
  tom_leeさん
こんにちは。
お尋ねの橋の位置を加茂の位置図に記入してみました。
トップページのメニューの一番上の「加茂地区の紹介」をクリックしていただき、右下の四国の地図をクリックして「加茂の位置図」に移動してください。
グーグルマップがでてきますので、適宜拡大してご覧ください。

地図上の、黒い四角の印が旧筏津橋の位置です。河ケ平よりは少し上流になります。
峡谷が狭まったところに架かっていました。昭和40年代には撤去されたようで、私が昭和56年に見に行ったときにはすでになくなっており、その残骸が河原に落ちていました。(四角をクリックすると簡単な説明が表示されます。)

続いて止呂橋ですが、これは赤い四角で表示しました。国道から笹ヶ峰の登山口へ向かう吉居林道に通じる道に架かる橋で、今は鉄製の橋がかかっていますが、昭和42年までは木製のつり橋でした。つり橋のワイヤーを支えていたコンクリートの支柱は今も残っています。

それと、河ケ平ですが、赤い丸印で表示してみました。加茂地区の中では下流に位置します。河ケ平には、上(かみ)と下(しも)があるのですが、おそらく河ケ平上のことかと思われます。

ところで、これは私の推測ですが、tom_leeさんが子どもの頃に渡られた橋ですが、バスに乗って河ケ平に行き、バス停から筏津橋までは遠くなかったとすると、もしかしたら筏津橋ではなくて荒川橋だったのではないでしょうか。(地図上に白い四角で示しています。)
河ケ平に来る最寄りのバス停は、地図にバスのマークで示していますが、当時は、「加茂農協前」というバス停でした。バス停から荒川橋まで徒歩5分くらいです。

もし、荒川橋を渡って左へ行き道を上ったとすると、地図上にも歩道を書いていますが、少し先に索道(緑の星マーク)があります。また、河ケ平周辺の川は水遊びに最適なところで、今でも夏になるとたくさんの方が泳ぎに来ます。(筏津橋付近の川は上流ということもあり水遊びには適していません。)とはいっても、川の水は冷たいですから、私も水遊びをしすぎてお腹をこわしたことがあります。

荒川橋を渡って、索道跡を過ぎて10分くらいで下分(しもぶん)という集落に着きます。tom_leeさんのひいおばあ様は、もしかしたら下分集落周辺におられたのかも、と思ったりもしました。

※今この歩道は、平成16年の台風21号の災害で土砂崩れとなり通行不可となっています。
 

河ヶ平 その2

 投稿者:tom_leeメール  投稿日:2017年11月 6日(月)11時36分36秒
  荒獅子 様
レス、どうも有難うございます。
宜しくお願い致します。

当時、河ヶ平に行く時は、西条のどこかからバスに乗って(森林軌道だかどうかは判りませんが)バス停から筏津橋まではそんなに遠くなかった様に覚えています。筏津橋から祖祖母の家までは少し上り坂でしたがそれもそんなに離れてなかった様に覚えています。確かその少し先に索道があり、子供心に「あれに乗って遊びたいな」なんて思って思ってました。(笑)

余談ですが、当時、川で水遊びしたり泳いだりして、水がすんごく冷たくて気持ち良かったのですが、冷えたのか、後でお腹をこわしたのを覚えています。
 

こんばんは

 投稿者:荒獅子  投稿日:2017年11月 1日(水)19時44分6秒
  >みーにゃんさん
御無沙汰しております。
返事が大変遅くなりまして・・・申し訳ありませんでした。

そうですか、お父様、亡くなられたのですね。
お父様も北海道行きを楽しみにされていたでしょうから残念です。
とても、あわただしい日々だったですね。

北海道、ぜひ再チャレンジしてください。
また、ご報告をおまちしています。

ちなみに、私はまだ北海道へは行ったことがないのですが、いつかはあの広大な大地を見てみたいとひそかに思っています。

>tom_leeさん
書き込みありがとうございます。

おばあ様の出身が河ケ平なのですね。
tom_leeさんの言われるとおり、河ケ平の読み方は、正式には「こがなる」ですが、地元の人は「こわなる」と呼んでいます。加茂地区でもほぼ一番下流にある集落で、加茂公民館(元加茂小学校)や加茂郵便局などがあるところです。

ひいおばあ様の家に行かれる時にわたった筏津橋は、今はありません。
60年くらい前ですと、今の国道194号線は工事中あるいは、森林軌道だったかもしれません。筏津橋を渡ったと言うことは、今の国道ではなくて、当時千町から高知県へ通じる土佐街道を通られたのかもしれませんね。
筏津橋を渡り左にいったところにある集落は、下津池集落か風透集落だと思われます。

tom_leeさんが見た記憶があると言われている材木を運ぶロープウェイのようなもの(索道)は、昔河ケ平にありましたよ。

後日、地図に河ケ平、止呂橋、筏津橋などの位置を書いた図面をホームページに掲載したいと思います。そのときは、メールにてお知らせしますので、参考になさってください。
 

河ヶ平

 投稿者:tom_leeメール  投稿日:2017年10月29日(日)14時21分32秒
  初めまして。

実は、母方の祖母の出身が「こあなる」と記憶しており、私が小さい頃に母に連れられて数回は行った事があり、何となく加茂川の上流である事は覚えていたのですが、西条にはまだ親戚はあるものの、私は住んだ事もない為に地の利もなく、「こあなる」で検索してもなかなかヒットせずに苦労している内にこのサイトに辿り着きました。

私が記憶していた「こあなる」は、「河ヶ平(こがなる)」もしくは「こわなる」だという事が判明致しました。「河ヶ平」を「こがなる」と読むのは意外でした。

旧止呂橋も微かな記憶に残っております。

祖祖母の家は、「加茂の歴史」の中の「思い出の写真集」にある、「筏津橋(いかだづばし)」を渡って、確か左の方に行ったところにあった様に記憶していますが、多分もう誰も住んではいないでしょう。

もう60年位昔の事ですが、「筏津橋(いかだづばし)」は当時3歳~5歳くらいだった私には揺れるのでとても怖かった記憶があります。

地の利がないのでその辺りではないのかも知れませんが、「石鎚山麓の郷火」の「石貝集落」の「旧石鎚村集落」の写真にある、材木を運ぶロープウェイの様なのも見た記憶がありますね。


さて十数年前にレンタカーにて私なりに「こあなる」を探してみた事はあったのですが、結局それらしき所に辿り着けませんでした。

そんな訳で、「止呂橋」や「筏津橋(いかだづばし)」の正確な場所をお教え頂ければ有難いです。次回の墓参の際にでも足を運んでみようかと思います。

いきなりの長文書き込みで失礼しました。
 

お知らせ

 投稿者:みーにゃん  投稿日:2017年10月27日(金)06時40分45秒
  お久しぶりです。
今年、飛行機のチケットまで手配していたのですが、
突然のこと父が亡くなり、北海道行きは中止しました。
先方も身内にご不幸もあり、お互い忙しい一年となり
また、翌年以降、北海道行き再チャレンジしたいと思います。
父が亡くなって、先方も父が来ることを、心待ちにして
いただいていましたが、かなわぬこととなりましたが
また、先祖が切り拓いた土地を見せていただこうと
思います。ご報告まで。
 

加茂地区森林軌道跡

 投稿者:荒獅子  投稿日:2017年 5月16日(火)19時58分0秒
  4月に「おきのくに」さんに教えていただいた情報をもとに・・ついに見つけました。
加茂地区の森林軌道跡です。
色々と調べているうちに、これは千町鉱山の鉱石を運搬するために作られた改修前の軌道跡だということがわかりました。
作られたのが大正時代なのでもちろんレールなどはありませんが、谷川沿いの大岩を削って開設された道が続いています。
加茂地区にはこういった軌道跡がまだ残っているという情報も得ました。
また機会があったら探してみたいと思います。
 

よかったですね

 投稿者:荒獅子  投稿日:2017年 5月16日(火)19時39分45秒
  >一色さま
ついに見つけられましたね。
すばらしいです。私は、もう一度六地蔵さんのところまで行けといわれても自信がありません。
10年という歳月は長いものですからね。

一色さんの写真を見て、私も当時の写真を見直してみました。
間違いなく私が見た六地蔵です。また、鉄塔監視用らしき鉄の橋の当時の写真もありました。
どうやら私も一色さんと同じルートで帰ったようです。

私も、加茂地区中心ですが、石鎚山系の集落などの風景を写真で撮り続けています。
早いものでもう40年近くになりました。
あらためて、古い写真をみると、この30~40年でずいぶんと変わったなと思います。

写真はこれからも撮り続けてホームページ等で紹介したいと思います。
こちらこそ、今後ともよろしくお願いします。
 

槌之川の六地蔵

 投稿者:一色メール  投稿日:2017年 5月12日(金)18時32分18秒
  こんにちは、昨日は休日でお天気もよかったので、槌之川の六地蔵探し四度目の挑戦、行ってきました。荒獅子さんがアップしてくれました滝の写真、あの写真を何度も何度も見ながら考えてました。そして今度こそは見つけるぞというおもいで行ってきました。
私は今まで、滝まで行けば向こう側には道はなくて、下に下りていく道があると思ってました。そしてその道は洪水などで崩れてしまい、すでにわからなくなってると思い込んでいまして、谷沿いに流された流木などで荒れた谷川をあずりながら下って行きまして、下ったところの開けた所が役場跡だと思ってました。今回は滝下まで下りると向こうに渡り少しあがり道を探しました。道らしきものがあったのでそこをドンドンと進んでいきました。するとありました。四度目の挑戦でしたので見つけた時は感動しました。六地蔵さんの前に大きめの石碑がありまして、施主が庄蔵と石に刻んでありました。中村集落に住んでおられた曽我部正喜さんのひいおじいさんが庄蔵さんという名前で明治の上期の一時期、中村集落で寺子屋をしていたそうですが、その人が建てたのかなと少し興味を覚えました。その後六地蔵さんを通りこして進んでいきましたが、役場あたりかと思われるところにつきましたがそれからは道がわかりずらくなり、谷川に下りまして谷川沿いに下り帰りました。途中、四電の鉄塔監視道用?の鉄の橋がありましたが、橋が両岸から離れ浮き上がり橋の機能は果たしてませんでした。石鎚山系の里山や山間の風景や暮らしを時間があれば写真で記録しています。どうもありがとうございました。今後ともよろしくお願いします。
 

千町の棚田

 投稿者:荒獅子  投稿日:2017年 4月27日(木)18時56分31秒
  先日、千町の棚田を横から望める場所まで行ってみました。
年々耕作放棄地が増えています。
かつてのすばらしい景観は見られなくなってしまいました・・・。

>一色さま
これはすごい荒れようですね。
六地蔵さんは大丈夫なんでしょうか。
また見つかったら連絡をお願いします。

石鎚村・・私もまた機会をみつけて行ってみたくなりました。
 

情報ありがとうございます

 投稿者:一色メール  投稿日:2017年 4月23日(日)17時56分11秒
  お手数かけました。荒獅子さんが書かれてた文章を頼りに、横峰寺から金の鳥居経由で郷に行き、郷のお堂から虎杖に下りず右に曲がって下りていき、学校跡の石垣下を下ると地蔵さんが見えてきまして、そこを下ると荒獅子さんが言われるように三叉路に突き当たりました。私も鉄塔まで一応下りていきましたが行き止まりのようで引き返しまして、最初来た道を右方向に下りていく道を下っていきました。所々崩れたりして道が薄くなってましたがなんとか2回とも滝が見える所までたどり着けました、一回目は滝下まで下りていきましたがそこからは道がほとんど大雨などで崩れてわからなくなってましたので、そこから谷になったまん中あたりをあずりながら下りていきました。そしたらほぼ直角に流れる本流の谷川に突き当たりました。突き当たりの右側あたりに建物の跡や釜跡がありましたこのあたりが駐在所や組合、役場あたりではなかろうかと思ってますが、、間違ってるかもしれません。 あたりを探しながら鉄の橋があるところまで探しましたが見つからなかったので、再度一週間後に試みましたが、今度は滝が見えだしたら前回よりもちょっと5~6m上の所から道を探しながら六地蔵を探しながら下りていきました。所々石の階段道?のようなところがありましたが崩れて荒れてましてさだやかではないですが、、。たぶん一回目のように滝下までおり、そこから左の方に谷沿いに下りていくのではなかろうかと考えたりします。滝下から下る道がわかりずらくなってました。谷がかなり倒木などで荒れてましたので、六地蔵があった所もひょっとしてずってしまって六地蔵も倒れて、流されてしまったのかもしれませんが、もう一度探しに行ってみようと思います。この集落には梅本八幡神社があったという事でさがしてたら、集落の下の方に壊れかけのコンクリ-ト橋がありそれを渡ると壊れた社がありました。
又よろしくお願いします。ありがとうございました。
 

こんばんは

 投稿者:荒獅子  投稿日:2017年 4月19日(水)20時16分35秒
  >一色さま

御無沙汰しております。荒獅子です。
お返事が遅くなりすいませんでした。
当時の記憶をずっと思い出しておりました。^^;
郷から槌之川へ下る途中で六地蔵を見た経緯を詳しく書いてみます。

横峰寺から郷のお堂まで戻ってきて、普通ならお堂から曲がって虎杖まで下るのですが、お堂の前を通ってまっすぐ下る道があったので、もしかしたら槌之川まで通じているのではと思い、まっすぐスギ林の中の道を進みました。しばらく下ると学校の石垣跡らしきものの下を通り(どうやら学校跡ではなかったようなのですが・・・)そこを過ぎると、お地蔵さんがありました。
その先は道が3方向に分かれていて、一番整備されていた道を進んだのですが、鉄塔で行き止まりになりました。一色さんが鉄塔まで行かれたかどうかはわかりませんが、私はそこで引き返さずそこから山中を槌之川集落の方向を目指して下りました。
道なき道を悪戦苦闘しながら5分くらい下ると古い道にでました。その道を2~3分下ると小さな滝がありましたが道が崩れていて慎重に滝の下に降りた記憶があります。滝を降りて、またしばらく道を下ると六地蔵がありました。六地蔵から槌之川集落跡までは、10分程度でしたが、道に雑木が生い茂り前に進むのも一苦労という感じで、だいぶ長い間人が通ってないように感じました。六地蔵は道のすぐそばの大きな岩のところにありました。私が通った道はおそらくメインルートではなかったのではないでしょうか。一色さんが通られた道は、私が通った道とは違う道かもしれませんね。
私が歩いた道の写真を何枚か掲載してみます。ご参考になれば幸いです。
(写真の説明)
1枚目、鉄塔から槌之川方向へ山中を下り、見つけた道
2枚目、道を下ったところにあった小さな滝
3枚目、道のところにあった六地蔵
 

旧石鎚村槌之川の六地蔵

 投稿者:一色メール  投稿日:2017年 4月17日(月)14時54分55秒
  こんにちは、何年か前にも一度メ-ルさせていただいた事があります。石鎚山系山間歩きが好きでカメラもっていろいろなところよく訪れています。昭和26年生まれの一色龍太郎といいます。最近旧石鎚村の六地蔵を探して歩いていますが、荒獅子さんのHPを昔から拝見しまして、以前に荒獅子さんも郷から槌之川へ行かれて集落の入り口あたりで六地蔵を見たと、写真入りでHPに出ていたのを見まして、私も郷集落跡のお堂横から下り、探しながら槌之川集落跡まで二度ほど行きましたが見つける事が出来ませんでした。道も薄くなってわかりにくいころもありました。荒獅子さんが行かれてあれから約10年、風雨により六地蔵が倒れ流されてしまったのかなとも思ったりしますが、今一度、荒獅子さんに六地蔵があった場所を記憶していれば、よろしければ教えていただいて、再度挑戦してみようと思っています。お手数ですがよろしければよろしくお願いします。      

おはようございます。

 投稿者:荒獅子  投稿日:2017年 3月22日(水)06時33分59秒
  ふと気が付いたら、もう3月の半ばを過ぎて下旬が近くなってきました。本当に時のたつのは早いものです。

>みーにゃんさん
前に書き込みをいただいてからあっという間に1か月が過ぎました。早咲きの桜もぼちぼち花が咲き始めて、春になりましたね。早いものです。

お父様も体調万全で北海道へ行けたら良いですね。
私にも北海道に親戚がいます。お会いしたことはないのですが、かなり前に、その親戚の方が、自分の祖先のルーツをたどって、西条市の加茂まで来られたそうです。西条市から北海道へ渡ったのは私の曽祖父の時代らしくてずいぶん前の話になりますが、祖先のルーツというのはどなたでも興味があるようですね。私の祖先も高知の山奥から出てきたようで、何度かその場所を探しにいってみたこともあるのですが、いまだにわかっていません。

私は北海道に行ったことがありません。いつかは行ってみたいと思っているのですが、今のところは頭の中で想像しているだけです。夏の北海道・・・とても雄大な景色を想像しています。
みーにゃんさんの写真楽しみにしていますよ。
 

おひさしぶりです

 投稿者:みーにゃん  投稿日:2017年 3月18日(土)23時49分43秒
  そうですね、私も、千町にしばらくぶりに行くと
道が狭く感じて、最初は怖かったです。

夏ごろ、留萌にいけると、父親も体調を整えて、
声かけしています。
父も高齢ですが、ぜひ来てくださいということで、
お声をかけてもらいました。

もっと、準備する期間があればよかったのですが、
親戚を案内する前に、父の手術や、伯母がなくなったり
もうバタバタしてて、


そうらしいです。明治に移住されたので、毎日毎日、
街から、馬車で農地を作りに、開拓。
千町の祖先も、あれだけの石積みを、毎日毎日して
千町をつくったのでしょうから、その血を感じて
くださったかとおもいます。

またまた、行った折には、写真UPいたします。
 

こんばんは

 投稿者:荒獅子  投稿日:2017年 2月19日(日)23時05分12秒
  みーにゃんさん、ご無沙汰しています。
このところ、暖かくなったり寒くなったりと・・・体調管理が大変です。
でも、季節はだんだんと春に向かっている感じがします。

ご親戚の方北海道からはるばると千町まで来られたのですね。
広大な北海道と比べて、狭い山の土地に石垣を積んで作られた棚田の風景はどのように映ったのでしょうか。
北海道も千町も先人が苦労をして開拓したところ、きっと感慨深かったと思いますよ。

千町の道、私なんかは慣れているせいか恐ろしいと思ったことは一度もないのですが、初めての方にとってはやっぱりそう感じるのでしょうか?

北海道留萌の写真ありがとうございます。さすが、北海道だけに景色が広大です。
でも、道のしるしの↓は初めて見ました。北海道ならではですね。
たしかにこの矢印がないと、どこが道で、どこが農地なのかわからないですね。

また、夏に北海道に行かれたら留萌の写真をアップして見せてください。
すばらしい雄大な風景が見られるような気がします。
 

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